「第24回福知山マラソン」は、「第15回全日本盲人マラソン選手権」でもありました。普通のマラソン大会でも盲人ランナーさんはいらっしゃいますが、福知山には特にたくさんの目の見えないランナーさんがいらっしゃいました。
伴走者さんと繋いだ、細い短いロープだけを頼りに、フルマラソンを走るなんて、さぞや大変だろう、といつも思っていました。伴走者さんも、細い隙間をすり抜けるような走りは出来ないし、技術がいるんだろうな、と思っていました。
今回、驚いたことは、伴走者さんのゼッケンに、
「盲、ろう」
と書かれたランナーが何名もいらっしゃったことです。
目も見えない、耳も聞こえない…
そんなランナーさんが、僕より速く走っています。
もう、速いとか遅いとか、どうでもいい。
いったい、あのランナーさんは、自らの意思をどのように伝えていらっしゃるのか。
今日は調子がいいからもう少し練習したい。
寒いからもう一枚、羽織りたい。
お腹が痛くなった、トイレに行きたい。
練習中であれ、大会中であれ、どれだけのご苦労があるでしょうか。
僕たちはトイレに行くのに、伴走者に伝える必要はありません。そもそも伴走者なんていません。
調子が良ければあと5km、練習距離を延ばせばいい。
悪けりゃ今すぐやめればいい。
なんと幸せなことだろう!
そう思うと、
やれタイムがよかったの悪かっただの、
ライバルに勝っただの負けただの、
途中で足が止まって屈辱のレースだっただの、
なんとしょーもないことだろう、と思いました。
五体満足で走らせてもらっている幸せを、当たり前だと思う傲慢を、盲人ランナーさんを見て思いました。
30kmでカラダ中どこにもバネが残ってなくて、35kmすぎたら両足が痛くて痛くて!
でも…
痛くても走れる足があるなら、止まるわけにはいかないじゃないか。
前が見える目があるなら、先を見ないわけにはいかないじゃないか。
聞こえる耳があるなら、声援に応えないわけにはいかないじゃないか。
ラスト1km、坂の上にポツンとラン友のぼりが見えた時…
僕は涙が止まらなくなりました。
色んな思いが入り混じり、激しく嗚咽してしまいました。
福知山マラソンはたくさんのことを教えてくれた大会でした。素晴らしい大会でした。