昔々、あるところに、心の優しい若夫婦が住んでおりました。
小さな娘を一人、神様から授かりましたが、親戚夫婦が育児放棄した二人の兄弟を引き取り、実の娘同様、一緒に面倒を見ていました。
お父さんは、長い間はたらいてきた工場から独立し、小さいながら、自分の工場を持ちました。従業員はお母さんだけでしたが、若くして社長になりました。
仕事は全然ありませんでしたが、若夫婦は希望に満ち溢れておりました。
ただ、いつになっても仕事がありません。若夫婦は依頼があればどんな仕事もいとわずこなしておりました。
そんなある日。
二人のもとに、一つの仕事が舞い込みました。もう使われていない小さな建物の廃棄物処理と解体の仕事です。
二人はさっそく、その建物に行きました。
廃棄物処理のため、まず中に入ると…
誰もいないはずの内部。でも、小さな音がします。
野良ネコの親子が住んでいました。
母ネコと、子ネコは、まだ生まれたばかり。手のひらに乗りそうなくらいに小さな子ネコが数匹。
お父さんとお母さんは、そのネコの家族を驚かせないように、仕事を進めました。
そして次の日。
きのうの続きをするために、建物にやってくると…
ネコは、消えていました。
たった一匹を除いて。
人間がやってきたので、危険と思った母ネコが、夜のうちにねぐらを変えたようでした。
残された子ネコは、いちばん弱そうだったので、母ネコに捨てられたのかもしれません。
生きているのか、死んでいるのかわからないくらい、弱々しい、子ネコ。
まだ目さえ、満足に開いていません。
顔じゅう泥まみれ。泥を払う力もないようでした。
それを見たお母さんは、もう仕事どころではありません。ずっと子ネコにつきっきりです。
子ネコは生まれて1日目くらいでした。まだ、食べ物さえ食べることができないようでした。
お母さんはつきっきりで、子ネコを両手に包んで、温めてあげていました。
お父さんは内心、怒っていました。
お父さんも心の優しい人でしたが、ネコだけは嫌いでした。犬は大好きなのですが、猫だけは嫌いでした。
「お父さん、このネコ、うちで飼いましょう」
「だめだ!」
お父さんはガンとしてはねのけました。
お母さんは、お父さんがそう言うとわかっていました。お父さんのネコ嫌いを知っていましたから。
お母さんは悲しくて悲しくて、どうしようもありませんでした。
けっきょく、一日中、子ネコのそばを離れずにいました。
いよいよ明日は、工場の取り壊しです。
生まれたばかりの子ネコは、母ネコがいないと、1日も生きていくことができません。
あのネコ家族は、あの工場があったから、外敵からも身を守られ、雨露もしのげていました。
それなのに、自分たちがきたから、母ネコはねぐらを移してしまいました。
そして、いちばん小さなあの子が取り残されてしまいました。
あした、あの工場が取り壊されたら…
子ネコは、間違いなく、死んでしまいます。
仕事が終わりました。お父さんはクルマに向かいました。
お母さんは、最後にもう一度、子ネコを抱きしめると、その場を後にしました。
帰りのクルマの中でも、お母さんは一言も発せず、ただ、涙を流しておりました。
お父さんは、むすっとして、一言も喋りませんでした。
お母さんは、家について、泣きながら、料理を作っていました。
晩ごはんができました。
いつもは楽しい夕食。お父さんは黙々と食べ始めましたが、お母さんはうつむいて、食べ物に手をつけることができません。。
お母さんは、泣きはらした目で、もう一度、お父さんに言いました。
「お父さん…あの子ネコ…」
「勝手にしろ!!」
ついにお父さんが言いました。
お母さんは、椅子から飛び上がりました!
「エエのん?連れてきてエエのん?」
「勝手にしろ!」
そのままお母さんはクルマに飛び乗り、一人であの廃工場へとクルマを走らせました。
真っ暗な廃工場。
「ネコちゃん、ネコちゃん」
お母さんが、昼間に子ネコの世話をしていた場所に行くと…
いました。あの子ネコは、まだそこにいました。
生まれたばかりで動けず、食べ物も口にできない子ネコ。もう少し、一人ぼっちでいたら、死んでしまっていたことでしょう。
子ネコは、優しい人間に、ふわりと持ち上げられました。まだ涙が乾ききっていない目で子猫を見つめながら、お母さんは言いました。
「さあ。お家に帰ろう」
お母さんはそう言って、子ネコを連れて帰りました。
それから…
子ネコは、真っ黒な毛並みから、「ブラッキー」と名付けられました。
ブラッキーが来てからと言うもの…
お父さんの工場は、なぜか、とても忙しくなって来ました。
とても、夫婦二人ではおっつけなくなり、従業員を雇うようになりました。
今では、工場はさらにもう一つあり、従業員も10名になりました。
ブラッキーが招き猫だったことは間違いありません。
何よりも不思議だったこと。
それは、お父さんが、大のネコ好きになったことでした。誰よりもブラッキーを愛し、「わしの息子」と呼ぶようになりました。ブラッキーの方も、助けてくれたお母さんより、なぜかお父さんの方が好きみたいでした。
生まれてたった数日で死ぬはずだったブラッキー。
20年、お父さんとお母さんの家で、幸せに暮らしました。
天寿をまっとうして、ブラッキーは神様のもとに旅立ちました。
みんなを幸せにしてくれてありがとう。天国でまた、楽しく走り回ってね。