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書評「ナチュラル・ボーン・ヒーローズ」人類が失った"野生"のスキルをめぐる冒険  前編 落第スパイによる、ドイツ将軍の誘拐。なぜそんなことができたのか?

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「BORN TO RUN 走るために生まれた」は、世界中を驚愕させたと言っても過言ではないでしょう。

 

それまで常識だと思っていたこと〜人間の骨格は走ることに適していない、短距離走はつま先着地、長距離走はかかと着地、楽に走るなら、よりクッションの柔らかいシューズを、高価なシューズこそ、良いシューズだ〜などが、すべてくつがえされたあの本は、世界中のすべてのランナー、およびスポーツメーカーに衝撃を与えました。

 

クリストファー・マクドゥーガルが次に著した本書「ナチュラル・ボーン・ヒーローズ」は、大きくふたつの骨子から形成されています。

 

第二次世界大戦中、クレタ島で起きた、ドイツ軍の将軍誘拐事件の詳細

②人類が忘れてしまった動き。「ナチュラル・ムーブメント」とは何か。

 

ふたつは一見、なんの関係もないように見えますが、根底でつながっています。

 

それぞれについて見てみましょう。

 

①ドイツ将軍誘拐事件

 

手強いギリシャ

 

ドイツ軍による地中海東部の制圧はクレタ島攻略にかかっていた。しかし、ドイツより先にギリシャに攻め入ったイタリアは、思わぬ苦戦を強いられる。ぼろを身にまとい、ライフルを羊飼いの杖のように肩にかけ、雪と死を招く寒さの中で軽口を叩く陽気なクレタ人は、間も無くギリシャの攻撃の急先鋒となる。ある戦闘では、クレタの連隊が数の上では1:10の劣勢ながら、イタリアの一個師団を敗走させた。

 

ヒトラーは天候を甘くみていたムッソリーニと同じ轍は踏まず、天候が有利になる時まで待って、進撃を開始。ギリシャ人は勇敢に立ち向かったが、ドイツ軍の前に力つきる。しかしその勇敢さは、ついに弾薬が尽きたある駐屯隊に向かって、ドイツ兵たちが自然と立ち上がって敬礼したほどだった。

 

残るはギリシャ最大の島、クレタだ。ムッソリーニを苦しめたクレタ人たちを甘くみてはいけない、とヒトラーは考えていた。しかし、有能な部下たちのもと、史上最大の空挺作戦を展開し、電光石火で制圧する作戦を許可する。1941年5月20日。たった1日でクレタを攻め落とすべく、「メルクール作戦」が始まった。

 

クレタ島を1日で攻め落とせ

 

早朝の太陽をさえぎり暗くするほどの、膨大な数のドイツの大編隊がクレタ上空を覆い尽くしていた。クレタにいた軍隊は、ギリシャ本土が制圧された際に、重火器を置いて逃げてきた、漂流者たちだ。オーストラリア、ニュージーランド、イギリス、ギリシャ人の寄せ集めだった。

 

麻薬で高揚したドイツの降下猟兵は着地するやそばに落下した武器箱を開け、あっという間に英国軍を凌駕する装備を身につけた。

 

ドイツの大部隊に占拠されたクレタ本土。しかし…

 

ドイツ兵たちの動きがおかしい。前進しているのではなく、じりじり後退している。銃の数も人の数も負けているのに、ギリシャ人たちは即興でゲリラ的奇襲に転じ、意外性という敵のお株を奪っていた。

 

さらに、鎌や斧で武装した村人の集団が加勢に駆けつけた。神父は鐘を鳴らして教区民を収集し、戦闘に参加した。 

 

戦況はあっという間に逆転した。最先端の装備に守られた大量のドイツ兵士は、棒に包丁をくくりつけた武器を前に両手を挙げた。

 

1日で終わるはずだったクレタ制圧は、長期戦の様相を呈し始めた。

 

3人の諜報部員

 

ザンは英国人。戦争から逃げ回ってきた貧乏画家。しかし、クレタの抵抗を知り、心が動く。訓練を受けたり指示を与えられたりせず、ただ伝統に従い、生涯を通じて、この時のために備えてきた、そんなクレタ人に羨望を覚える。彼は諜報部に入り、クレタ島に向かう。

 

パディは17歳までに二人の精神科医にかかり、三度放校処分になっている人物。しかしその魅力ある人物像のおかげで、ヨーロッパ中を放浪しながら、ヨーロッパに愛されているかのごとく、様々な豪邸を渡り歩いて生活をしていた。やがて入隊した軍隊では「平均以下」のレッテルを貼られる。堪能だった外国語の能力を活かし、諜報部へ転属する。想像力と頭の回転が盲目的な服従より意味を持つ場所に。

 

ビリーは開戦当初、入隊したくていてもたってもいられず、スウェーデンから英国まで乗せていってくれる自家用ヨットを探し出し、Uボート跳梁する北海を横断した、真の戦士だ。

 

敵の将軍を捕まえよう…

 

正気の沙汰とは思えない作戦。不思議なことに、ザンもパディも、ほぼ同時にこのアイディアを思いつく。成功するチャンスがあるとするなら、方法は一つ。クレタの「容赦のない山々」でのサバイバル術を身につけ、その場の状況に応じて走る、登る、身をかわす、陰謀を企てる、食料を集める。ドイツ人がいけない場所へのたどり着き、想像を超える速さで敏捷に動かなければならない。

 

クレタ人たちから、クレタでのサバイバル術を学ぶ。しかし最終試験"クレタ走り"が難しい。山の石から石へと飛び移る、そのスピードと正確さ。

 

度重なるドイツ兵の襲撃から、パディもザンも、何度も逃げ延びる。今やクレタ人のように走り、這い回り、考え、やり抜くことができるようになってきた。

 

作戦決行

 

1944年4月26日。彼らは作戦を実行に移す。2名いるドイツ将軍のうち、〈虐殺者〉の異名をとるミュラー将軍こそ、彼らの標的であった。しかし、下調べの段階で突然、〈虐殺者〉は姿を消す。仕方なく、もう一人のクライペ将軍へとターゲットを変える。

 

ドイツの軍服を着て変装し、護衛をつけずに移動している将軍の車を停め、ホールドアップ。

 

ドイツ兵がうようよしている敵陣で、まさか将軍を誘拐するなんてありえない。誰もがそう思っている、その隙をつく。

 

後部座席に将軍を座らせ、密かに銃を突きつけ、ビリーが運転。パディが助手席に座り、将軍の帽子をかぶる。

 

将軍の旗のついた車、将軍の帽子をかぶった人物。

 

将軍を消すのではなく、ドイツ軍本部の中枢を突っ切る近道への通行証として使ったのだ。

 

誰も着任直後の将軍の顔を知らない。全ての検問が素通りできた。

 

やがて海岸線で車を停め、ドイツ軍に置き手紙を書く。

 

「我々はカイロに向かっている。将軍は名誉ある捕虜で、その階級に配慮した待遇を受ける。したがって地元住民に対する報復は例外なく、不当にして不正な行為となるだろう」

 

ドイツ軍はこれを見つけると、ここに潜水艦がやってきて、彼らをとっくに連れ去った、と思ってくれるに違いない…

 

パディの誤算。見破られたトリック

 

しかし〈虐殺者〉ミュラー将軍は有能であった。二度の世界大戦の経験の中で、知る限り、過去に誘拐された将軍はいない。前例がなければ決まった戦術もなく、相手はことを進めながら対処していくしかないはずだ。これは陽動作戦に違いない。誘拐犯はまだこの島にいる。そして必死に逃げている。

 

ドイツ軍は6時間後には、危険なまでにパディたちに近づいていた。今、パディたちをかくまっている人たちは、数日後には村ごと焼き払われるだろう。しかし人々はそれを知ると、縮こまるのではなく歓喜する。

 

クレタ人の協力

 

クレタ人たちがパディの作戦を気に入ったのは、それが単なる戦争行為ではなく、クレタ人への敬意の証だったからだ。ギリシャの神々は、常に何かを盗んでいた。ヘラクレスの功業の半分は盗みで、プロメテウスは神の火を持ち逃げした。盗人の豪胆な〈メーティス〉(知恵)こそが、古代ギリシャの活力溢れる精神で、それによって彼らは知の歴史上最高の創造性を発揮できたのだ。

 

ドイツ軍は村を焼き、数百人を殺した。失うものがなくなった人々は、死ぬまで戦い抜くことを決めた。

 

逃避行のエネルギー源、そして…

 

誘拐団が通るのは、急勾配の、ヤギがヤギのために作った獣道だ。延々と続くナイフの刃のような尖った岩場を歩く。将軍はとても歩けない。ラバから降りなかった。

 

援助してくれそうな村はことごとく包囲されている。

 

休む暇も、食べ物も水もない。しかし最良の経路は、山を登って頂上を超え、ドイツ軍が攻撃を開始する前に山を下り切ることだった。

 

切り抜ける方法はたった一つ。古来のエネルギー源を活用したとしか考えられない。糖ではなく、体内の脂肪を高性能燃料にする方法に気づいたのだろう。

 

いくつかの幸運に守られはしたが、パディとビリーは将軍を海岸線まで連れ出し、ドイツの前哨基地からわずか1マイルの場所に、迎えに来るように無線を打つ。

 

こうして17日間にも及ぶ、クレタの山々を抜ける逃亡劇は終止符を打つ。無事、クライペ将軍をボートに乗せ、パディとビリーは、自分たちも乗り込んだ。彼らを助けた名もなき羊飼いや羊泥棒、殺し屋たちは、これからも島に残って戦い続けるのだ。

 

 

 

 

こうして、「平均以下」の能力しかないとレッテルを貼られていたパディの活躍で、ドイツ軍の将軍の誘拐は成功します。クレタで予想外の足止めを食らったドイツ軍は、ロシア侵攻のタイミングが二ヶ月も狂い、やがて敗戦へと突き進んでいきます。

 

それにしても、険しい山々を歩き通し、すぐそばまで接近していたドイツの魔の手から、パディたち誘拐団を救ったものは一体何だったのでしょうか。

 

クレタに赴任後、わずか半年で、パディはクレタの人々がするように、クレタの険しい山々で生き残るすべを身につけていきます。

 

クレタの人々は、常人ではありえないほどの運動能力で、急勾配の道を難なく走り、洞窟で生き延び、伝令を届け、戦闘に参加します。

 

そのパワーの源は一体何だったのか?

 

"クレタ走り"、なぜ、そんなことができるのか?

 

常人なら餓死してもおかしくない状況で、パディたちが生き延びた、脂肪を高性能燃料にする方法とは一体何なのか?

 

それぞれの疑問が、もう一つの骨子である

 

②ナチュラル・ムーブメント

 

について語ることで解き明かしていきます。

 

フリーランニング、すなわち

パルクール

ブルース・リー詠春拳

筋膜の動き

J.F.ケネディによる「JFK50」

ウォーリアーダッシュ

そして

マフェトンメソッド

 

を読み解きながら、野生のエネルギーこそ、彼らを支えたエネルギーであり、我々もそれを求め始めていること説きます。

 

この「ナチュラルムーブメント」については次回、ご紹介致します。

  

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