18kmあたりでお方さまがトイレを訴えた。
運よくすぐ近くにトイレがある。
僕はひと足はやくトイレまで行き、混み具合を見た。
そこはちょうど、佐賀の観光名所となっている、「佐賀のエッフェル塔」の下であった。エッフェル塔下の仮設トイレ。女性用は、これまた運よく誰も並んでいなかった。
お方さまがトイレに入り、用を足して、すぐに出て来た。
そんなお方さまを見て、僕も再び走り出した。
もう少しでハーフの距離。ハーフを越えたら少しペースを落とそう…
そう考えながら振り向くと、お方さまの姿がない。
驚いて後方を見ると、ずっと離れたところにいる。
「どうした?」
「なんか、もう、さっきみたいなペースでは走られへん…。足が痛くなった…」
「どう痛いん?」
「右足の筋肉が…。なんか、固まったみたいになった…。キューッて、固まったみたい…」
「…それ、足が攣ったんやで!」
「ええっ?!これが攣ったってことなん?!」
「…トイレ、和式やった?」
「うん」
「疲れがきてて、不用意にしゃがんだんが、悪かったかも知れへんな…」
お方さまは足が攣ったことがない。また、なんどもフルマラソンの経験があるお方さまの従姉妹が、足がつった経験がない、と言っていたので、僕は勝手に、お方さまは足が攣らない家系だと思い込んでいたのだ。
僕はポケットに手を入れた。僕自身は、昨夜、足つり対策の薬である「コムレケア」を飲んでいた。そして、攣った時のことを考え、自分用に同じ薬を持っていた。
さらに万一のことを考え、予備を3袋、持ってきていた。なぜそんなに持ってきてたのか、今となっては自分でもわからない。その内の1袋を開け、お方さまに飲ませた。
そしてここから、終わりが来ないんじゃないか、と思うほどの、壮絶な闘いが始まった。
まず僕は、ハーフ後からと宣言していたキロ8:30のペースに落としてみた。
しかしそのペースに、お方さまはついてくることができなかった。必死に喰らいつこうとしているが、次に振り返った時は5メートル、10メートルも後方にいた。
僕はお方さまの前を走ることをやめた。
「これから、横に走ることにするよ。オレが前を走って引っ張っても、もう着いてこれへんやろ?」
「…うん」
「じゃあ、レーコのペースで行き。歩きたくなったら歩いていいよ。したかったら屈伸して。エアサロは、オレのリュックの右のポケットに入ってるから」
「分かった」
赤い点と青い点が再び動き出したのを見て、“科学者”は少しだけホッとした。彼らはまだあきらめたわけではないんだ、そのことがわかったからだ。
トラブルの原因が自分の推理通りなのであれば、「お方さま」にはまだチャンスがある。
“科学者”は、「お方さま」が足が攣ったに違いない、と見当をつけていた。初フルは何があるかわからない、腹痛を催した可能性もある。地面の石ころにつまずき、怪我をしたのかもしれない。
しかし“科学者”は、ほぼ足攣りに間違いあるまい、と睨んでいた。「お方さま」のフォームは、動画で何百回も見ている。この程度のペースで、この程度の距離で、足が上がらなくなるようなフォームではない。何かにつまずいたりする可能性は低い。
このペースの落ち具合から見ると、足攣りがいちばん考えられる。
おそらく右足。お方さまは右足の接地時間が左よりも若干、長い。左右のバランスは修正できていなかった。
旦那さんは、数日前、「お方さま」の家系は足が攣らない、とか言っていたが、それが間違いだったのだろう。気温は恐れていたほどではないにしろ、やはり蒸し暑いはずだ、お方さまの発汗量によるミネラルの喪失具合、初フルという緊張、あるいはトイレの形状。
そしてさらに、「再び走り出した」という事実。
全てを考慮し、お方さまは足が攣ったに間違いはあるまい。
そして、足が攣ったのなら…
そのままの状態で、あと20km走ることはかなりの苦痛だろうが、不可能ではない。
何よりも、あの頼りない旦那が横にいる。
あの頼りない旦那さん、確か、下関のマラソンの時、30km地点で足が攣った経験があるはずだ。
ポンコツ脚の情けないランナーだけど、あの時の経験が彼にはある。
足が攣っても、ゆっくり走れば、決して重篤な後遺症を残すことはない、と知っている。
彼のポンコツが、今、初めて役に立つかもしれない。
“科学者”はパソコンに叫んだ。
「いけ!あきらめるな!」
彼は自分が泣いていることにさえ気づいてはいなかった。
さが桜マラソンの目玉、吉野ヶ里遺跡。ハーフを越えてからも、そこになかなかたどり着けない。ランナーは吉野ヶ里遺跡へと向かう道すがら、出てきたランナーとすれ違う。そこでもしかしたら誰かとすれ違うかもしれない。
さとじゅんがいた!すごく調子が良さそうだ!さとじゅん!さとじゅん!と僕たちが叫ぶと、向こうも気がついてくれて、手を振ってくれた。
さらにその直後、さえみんが来た!うさぎの耳をつけて走っている。肉離れが治った直後ときいていて、表情はやや険しそうに見えたが、僕たちに気づくととても明るい顔で手を振ってくれた。
吉野ヶ里遺跡は美しい公園で、2年前のこの大会で、お方さまはたった1人でこのなかでラン友のぼりを持ち、応援してくれた、思い出の場所だ。
だか、その風景を愛でる余裕など、今のお方さまにはなかった。
公園の出口手前にエイドがある。足が攣ってからというもの、テンションがガタ落ち。先ほどから補給食すら口にしなくなってきたお方さまだったが、ここでは珍しく、そうめんを食べたい!といった。僕はそうめんをもらい、お方さまに手渡し、自分でも口にした。
美味しい!!お方さまの表情が緩んだ。出汁の塩分や、そうめんそのものののどごしなど、疲れたカラダに染み渡った!!
公園出口でお方さまは痛めている右足を台にのせ、ストレッチしていると…
「うわっ!!なんや、コレ?!」
ふくらはぎ真横の中央部分に、赤ちゃんのこぶし大のコブが2つ、くっきりと浮き出ていた。
「ああ、それ、足が攣ったらよー見るコブやで、心配ないよ」
「えー、めっちゃ気持ち悪いー!」
それでさらにテンションが下がったのか、そこからお方さまのペースがますます落ちできた。
もうずっと、右足を引きずるように走っている。ペースはキロ9分も出なくなってきている。
初フルは、後半、何があるかわからないから、なるべく前半で貯金が欲しい、と、トレーナーをかって出てくれたドクは言っていた。そのため、前半キロ7:40と言っておきながら、実際は7:20くらいて走っていた。
そのため、関門通過時間は、ずっと閉鎖時間まで45分くらいの貯金があった。でも貯金はやがて35分、25分、と少しずつ切り崩していった。
30㎞過ぎに救護所があった。僕はお方さまの手を引き、救護所にはいった。
「足が攣ったみたいなんです、マッサージとかできませんか?」
若いスタッフさんが、お方さまを座らせ、言った。「攣った時にマッサージで筋肉に刺激を与えると、攣りがひどくなってしまう可能性があるんです。ストレッチしましょう」
そのスタッフさんが、お方さまの右足を曲げたり伸ばしたり、踵を持ち上げたりしながら、患部を氷のパックで冷やしてくれたりした。
僕はお方さまの表情を見続けていた。苦痛に歪んではいるが、恐れていた暑さによる影響は全く見えない。以前、真夏の練習の時、汗がかけずに体温がこもり、頬が真っ赤に紅潮し、目がどろんとしたことがあるが、そんな様子は微塵もなかった。
この日のために、お方さまはずっと練習を続けてきた。苦手な早起きもして、決められたメニューをこなせるよう、自分で時間を作っていた。重篤な後遺症が残らないなら、なんとか完走させたい。お方さまの目から、まだ闘志は消えていなかった。僕はまだ止める時だとは思わなかった。
処置が終わり、我々は再びコースに復帰した。
「こんなペースで間に合うん?」
お方さまが聞いた。救護所を出たとき、4時間をはるかに経過していた。
「まだまだ余裕で間に合うよ!」
関門はまだあと3つもある。とっさに間に合うかどうか、僕には計算できなかったが、正直いうと、かなり厳しいと睨んでいた。
でもこの時は、笑顔でこう答えるのがベストだ、と思った。
(続く)