【ありがとう、京都マラソン!!】
残念ながら、完走できずに終わってしまった京都マラソン。
2014年から2017年、四回応募し、四回とも当選させていただいております!(うち、2015年は怪我のためDNS)
2014年も、
2016年も、無事完走を果たしました。
でも、昨日。京都マラソン2017は…
32.1km関門でアウトでした。
「情けない」とか「プライドが傷ついた」とか、そんな感情はありません。
ただ、僕が考えていたことは、
「心房細動の手術をして、それが再発しない程度の練習量でも、フルマラソンは再び完走できるのだ」
と言うことを証明したかったのですが、それができなかったことは残念でした。
昨日、何があったのか、そして何が足りなかったのか。
順を追って、考えたいと思います。
0〜5km地点
お方さまがGブロック、最終ブロックスタートだったので、僕もそこからスタートした。スタートロスタイムは15分と聞いていたが、11分でスタートラインを越える。4分のアドバンテージをもらった気分。
これまでの練習で、心拍数118bpmの時の平均ペースはキロ7:40、そして京都マラソンの前半関門をくぐり抜けるための最低限のペースも、キロ7:40。それ以下だと、関門アウトになる。
足底筋膜炎は終息に向かっていたが、左足の、肉離れの前兆に似たピリピリ感が怖く、この1週間はまともな練習ができなかったが、今日はそんなことは言っていられない。
キロ7:40をキープすべく走る。幸い、どこも痛むことはない。
5〜10km地点
特に6.1kmにある第1関門が、スタートロスによっては超えられないほどのギリギリ関門だったが、この4分の貯金によって5分以上余裕を持って越えることができた。
また、続く9.1kmの関門も、5分強の貯金で通過。もう少し早く通過したつもりだったが、貯金は第1関門通過時と変わっていなかった。
心拍数はずっと120bpmを越えている。もう118bpmには戻りそうもなかった。
10〜15km地点
最初の難関の登りがやってくる。昔は、坂道練習だけで90分も120分もやっていたが、術後は心拍数の上限を決める走り方練習だったので、坂道練習は一切おこなって来なかった。
心拍数の上昇を抑えるため、ゆっくり走り、下りでなるべく挽回する。
貯金を切り崩し始めた。12.5kmの関門は確か、5分前に通過した。
心拍数は120台の後半だ。あまりいい傾向ではない。
この辺りで、なんと、6時間のペーサーに追い抜かれる!(^_^;)
速すぎるで!6時間ペーサー!と思ったが…
前半はキロ7:40が、関門クリアの最低限のペースなのだ。つまり僕らはそもそも6時間ペーサーと同じペース設定だった。
この後、6時間ペーサーと抜きつ抜かれつのデッドヒートを演じながら進む(^_^;)
15〜20km
心拍数が130bpmを越えるようになってきた。小刻みな坂が多く、心拍数を気にしながらだと、ペースがうまく維持できない。
しかし、18.4kmの関門も5分前には通過。
心にあるのは、
「ハーフ地点を越えたら、キロ8分〜8分半に落とせる!そうすれば心拍数も落ちる!」
との思いだった。
20〜25km
異変が起こる。両足の大腿部の筋肉が痛み始めた!ジワジワ、痛みが広がる。
決して、肉離れなどの痛みではない。筋肉痛だ。
ハーフを越え、ペースをキロ8〜8:10程度に落としてみた。しかし、心拍数は下がらないどころか、上がりそうな気配。
25〜30km
太ももの痛みは急速に強くなっていった。こんな痛みは久しぶりだ。
こむら返り予防の薬、「コムレケア」を昨夜、スタート前、15km地点、痛みがで始めた22kmあたり、で服用した。そのため、足が攣る、と言う症状は出なかった。
が、筋肉痛は止めることができない。
前半だ〜。失敗した!
前半、いやーな登りが続いた時、僕は半分、意固地になって全ての登りを登った。
しかし、ずっと坂練習をしていない足には、ダメージが残ったのだろう。
ここにきて、筋肉が悲鳴を上げ始めた。
26km地点で、我慢できなくなり、止まって屈伸運動をした。その時、足がもうヨレヨレになっていることに気づいた。
その直後に出てきたトイレで、お方さまがトイレを訴えた。トイレは空いていたが、お方さまはさが桜の苦い思い出を教訓に、洋式トイレを希望したため、少しタイムロスが出た。
どちらかがトイレに行った時の場合を想定し、打ち合わせをしていなかったのがダメだった。ここで10分近く、時間をロスしてしまった。
後半から関門は緩くなるが、僕の筋肉痛とトイレロスの結果…
26.8kmの関門を通過したのは、閉鎖時間1分前だった。
筋肉痛はかなりひどくなっていた。
次の関門は5km先。44分後に通過しないといけない…
植物園に入っても、植物を楽しむ余裕なんてまったくナシ。
そして鴨川に降りた…
30〜32.1km
河川敷の道は凹凸が激しく、痛む大腿部をさらに刺激した。痛みのため知らず知らずに
「うおー、うおー」
唸り声をあげていた。
横を走るお方さまが、
「もうやめよう、もうやめよう」
と言う。
でも途中でやめるわけにはいかない。ダメランナーにも誇りはあるのだ。
最後のコムレケアを飲んだ時、同じ袋に入れていた、ピンクの錠剤がチラッと見えた。
「ロキソニン」だ。
いま飲まないと、いつ飲む?
しかし…
2014年、下関海響マラソンで、僕はロキソニンを飲んだ。たとえて言えば、10あった痛みは、5に軽減した。しかし、長くは続かなかった。30〜40分後には、また10に戻った。だからもう1錠、飲んだ。
ゴールした後、お腹がかなり痛くなった。内臓が、食い破られるような痛みだった。
ロキソニンは怖い、と知った。
そして最近では、ロキソニンで痛みをごまかして走ることはご法度だ、と言う意見が大勢を占めている。あの時のお腹の痛み、ロキソニンは使うべきではない、と僕も思う。
ではなぜ持ってきたのか?と言われると困るが、とにかく、ポケットに入れていた。
あまりの痛みに、一度は封を開けかけたが…
やはり、ポケットに戻した。
心臓病の薬、コレステルールの薬、血液を固まらせない薬、を飲んでいて、さらに今日は足が攣らない薬、も飲んでいる。
もう薬はたくさんだ。
もう、走ることができなくなってきた。
それでも体重を前にかけて、少しでも速く歩こう。
鴨川を挟んで…
仲間達が待っている地点が見えてきた。
あそこまで、行きたかったなあ…
「300メートル先の関門は閉鎖されました。ランナーの皆さん、ご苦労様でした」
総評
お方さまは、自分がトイレに行ったから悪かったのだ、と言ったが、そんなことはない。
もし、あのトイレロスがなかったら、32.1kmの関門は通過できたかもしれないが、完走できる脚は残っていなかった。32.1km関門か、34.9km関門か、どちらかだっただけの話だ。
最大の失敗は、坂道練習をまったくしていなかったのに、前半の坂を意固地になって走りながら登り続けたことだ。
適度に歩きを入れながら、余力を残した走りをすべきだった。
トレイルを主戦場にしているランナーさんにとっては、京都マラソンの高低差などあってないに等しい程度かもしれないが、前半の登りはやはり足にきた。
こうして、復帰戦は完走できず、に終わってしまったけど、またマラソン大会に戻れたこと、お方さまと二人で走れたこと、はとても嬉しいことだった。
また、次の目標を決めて、頑張っていこうと思います。