▼3-1はこちら。dietrunner.hatenablog.com
おかべあいこさんの場合
豊里エイドすぐそばで、オレンジを提供するエイドを出していた僕たち夫婦。
昼前に、豊里エイドから東にあるエイドはすべて自転車で回り、写真を撮ってきたが、唯一、西にある毛馬エイドのみ、まだ写真を撮れていない。
3時。僕は、自転車にまたがり、毛馬エイドまで行ってみることにした。
自転車をこぎ始めてすぐに、おかべさんの後ろ姿がみえた。
けっこう前に僕たちのエイドをでたのに、まだこれだけしか進んでいない。
でも、足は止まってない。走り続けている。
「おかべさん!」僕は声をかけた。「どんな調子?」
「うん、左のヒザが痛くなる…いまは大丈夫やけど。ゆっくり、このフォームを崩さずに走れば、痛みはこない。でもこのスピードしか出ない…」
「そう…」
「力が入らない。ヒザが抜ける感じがして…。お尻からヒザにかけて、力が入らない…」
彼女は確かに走り続けてはいたが、力感がまったくない、弱々しい走りであった。
「豊里エイドに、マッサージサービスがあったやん?マッサージうけた?」
「うけてない、人が多すぎて!待ってたら時間が…」
「そうなんや…」
時間は3時過ぎ。制限時間まであと2時間以上あったが、豊里エイドと毛馬エイド間を5kmとした場合、淀川上で残っている距離はまだあと13〜14km、さらに淀川をでてゴールまで、どう少なく見積もっても5km強。最低でも、まだあと19km残っている。もう無駄にできる時間はないのだ。
「でも、ここをまっすぐ行ったら私設エイドがあって!Uちゃんがいる私設エイド。そこに、整骨院の先生が、無料でマッサージしてくれてるらしいから!そこで、もし、待ち時間がなかったら、マッサージしてもらうつもり」
「そうなんや!待ち時間、なければいいね!」
そう言いながらも、彼女の走りは、左右のバランスが大きく崩れてきた。
「ああ、痛い!左ヒザが痛い!」
「止まろう!止まって屈伸とか!」
僕に言われるまでもなく、彼女は走るのをやめた。
だが決して止まりはしなかった。歩きながら、大股で歩きながら、股関節やらなにやらを調整していた。
そしてすぐに、再び、小走りながら走り始めた。
「いいよ!いいよ!そうして走り続けていればゼッタイ間に合うから!」
「うん。このフォームが保てるうちは、ヒザに痛みがこない」
どうやら、ヒザに負担がこないフォームがあるようで、そのフォームで進めるうちは走れるのだが、すぐにフォームが崩れ、ヒザに痛みがくる。
また、たとえそのフォームが戻っても、ランナーなら理解できる、ヒザが抜けるようなあの感覚のため、力強い一歩が刻めない。
僕はなんとか彼女を元気付けるため、声をかけ続けた。
「走れてるよ、そのペースが続けば、きっとゴールは間に合う!」
彼女は何度もヒザ痛のため歩きに変わり、その度に大股歩きで股関節を調節し、左右のバランスを整え、再び力感に乏しいランニングへと移行する、そのパターンを繰り返した。
そしてついに、Uちゃんのいる私設エイドにたどり着いた。
みんなが歓迎してくれた。食べ物、飲み物が豊富にあるエイドで、選手ではない僕にさえ、本格的なカレーをふるまってくれた。
「雅整骨院」の旗が立っていて、そのポロシャツを着ている先生がいた。おかべさんは、その先生を知っていると見えて、症状を説明していた。
先生はマットの上で、おかべさんの下半身のマッサージを始めた。かなりの痛みが伴うと見え、おかべさんの顔が苦痛に歪んだ。
施術は5分程度であった。制限時間が近づいているのだ、長居はできない。
マッサージが終わったおかべさん、立ち上がると、
「うん、下半身が楽になった!」
と喜んでいた。すぐにコースに復帰する。
ここから毛馬エイドまで、約1km。
マッサージ後の彼女の走りは、まさに奇跡であった。
マッサージ前、僕は「キロ8分は出てるよ、いい調子!」と声をかけていたが、実際にはおそらくキロ9分も出てはいなかった。
それがマッサージ後は、キロ7分で走っていた!
「ヒザが抜ける感じがなくなった!」
と本人も言っていたが、力感が戻った走りは、あっという間に毛馬エイドにたどり着いた!
さあ!ここから再び、僕のエイドと隣接している豊里エイドに戻り、もう一度、ここに帰って来て、この淀川沿いを離脱できる。
まだまだゴールは先だ、でもこのペースが維持できればゴールは可能かもしれない。
僕たちは来た道を戻った。おかべさんの足取りはしっかりしていた。
雅整骨院さんがいる、Uちゃんエイドを通過する。
「奇跡みたいに足取りが軽いです!」とおかべさんがいう。「何時まで、いらっしゃるんですか?」
「5時までは、必ずいるから!」
この時、時刻は3時45分。
70kmの制限時間は11時間、朝の6時半にスタートしている。つまり大阪城のゴールには5時30分に戻らねばならない。
豊里エイドに戻り、再びここに戻る時間が5時を回っていたら。ゴールすることは不可能だ。
おかべさんのギアがチェンジした。豊里エイドへ向かって、さらに早い足になった。
途中で、懐かしい友人などと少しだけ話したりしながら…
好調をキープしたまま、豊里エイドに帰って来た。
僕はずっとお方さまを一人にしていて、それが心配だったが、毎年、ここで一人でエイドをしているお方さまは全然問題なく、ランナーにエールを送り続けていた。
僕はお方さまに自転車を譲り、ここから毛馬エイドまで向かうおかべさんの伴走を、お方さまにさせるつもりであった。お方さまはずっと一人でここにいるので、風景を変えてやりたかったからだ。また、伴走者が変った方がおかべさんにとっても気分が変わり、足も楽になるだろうと思った。
ところが、実は今、お方さまは腰に爆弾を抱えていた。ギックリ腰の前兆が見えていたのだ。自転車に乗るのは危険、と本人が言った。
よし!乗りかかった船だ、次の毛馬エイドまで、僕が行こう!
僕が伴走を続ける、というのでおかべさんは恐縮していた、
「もうここまで一緒に来てくれただけで十分です!」
でもここで彼女と別れたら、僕は後悔すると思った。せめて、淀川を離脱するまでは見届けたかった。
再び、二人で同じ道を戻った。
おかべさんの走りは、徐々に衰えて来ているのがわかった。
「魔法が…。切れかけて来ました…」
マッサージ効果が薄れて来たのだ。
やがて、ヒザが抜けるあの感覚が戻って来てしまい…。
ヒザ痛も戻ってしまった。歩きになり、大股で調整し、力感のない走りに戻る、あのパターンを繰り返すことになった。
しかし彼女は決して止まろうとはしなかった。
4時35分。再び雅整骨院の旗の下に戻ってきた。
「5時までにここに戻ってこれるとは、思っていなかった!」
とおかべさんは言った。先生によるマッサージが行われた。
時間がない。
われわれはそこを4時42分に出た。
毛馬エイドに到着した。
「ここからゴールまで何キロですか?」
僕はスタッフさんに聞いた。
「6.8kmです!」
6.8km…
通常の練習なら、楽勝の距離だ。でも、63kmを走破した足には、はるか彼方のゴールだ。
時間は、4時50分をまわっていた。制限時間まで、あと40分を切っていた。
キロ6分で走っても、間に合わない…
今の彼女に、キロ6分で走ることは不可能だった。
お互いにそのことはわかっていた。
でも、どちらも口には出さなかった。
僕たちは毛馬エイドをでて、淀川を離脱した。
「池田さん、こんなとこまで一緒に来てくださって、ありがとうございました!」
おかべさんが言った。
もうどうせなら、最後までついて行きたかったが、クルマの駐車場の問題があり、僕は戻らなければならなかった。
僕はおかべさんの健闘を祈り、握手を交わした。
なんて、小さな手なんだろう…
子供のように小さな手。
こんな小さな手が、炎天下の10時間30分、63kmの距離を走り続け、さらに残りの距離を、間違いなく届かないであろうゴールを目指して走り続けようとしている。
僕たちは別れた。
僕はお方さまと合流し、クルマに自転車を乗せると、ゴール地点に向かった。
そのクルマの中で…
おかべさんからメールが来た。
件名:「間に合わず!!」
大阪城へとかかる橋の上…ゴールまで、あと1.9kmの地点だった。
「おかべさん…。ご苦労さまでした」
と、僕はそのメールにつぶやいた。
▼3-3はこちら。