去年のサロマ。僕はまたしてもダメでした。
そんなぼくの心のささくれを癒したのは、友のがんばりでした。ぼく同様、去年はダメだったオスカルくんです。
彼女も絶不調のスタート。とても間に合うとは思えないペースでした。
でも彼女は完走しました。
以下は、去年、ファイスブックにあげた投稿です。
35kmでオスカルくんと旦那さんが僕を抜いたけど、僕は2人はもっと前にいると思っていた。
オスカル!と僕は呼んだけど、本人は気付かなかった。旦那さんが気づいて、振り返って手を振ってくれた。
僕は右足の激しい痙攣の痛みでずっと歩いていた。その僕の後ろにいたとは。オスカルくんの消耗具合はとても激しかった。誰が見ても、ゴールまでもちそうになかった。
僕は41kmの関門を越えられなかった。この2ヶ月後、僕は心臓の手術を受けることになる。100kmなんて、走れる体ではなかった。お方さまのクルマで、55キロの中間エイドに向かった。
55km中間エイド、食事も着替えもまったく何もせず、飛び出したオスカル夫妻
オスカルくんがきたのは、ほとんど最後尾であった。相変わらず消耗しているが、それより気になったのが、旦那さんの様子だ。聞けば、足が攣っているという。激しい痛みに、顔をしかめていた。
あの足で残り45kmを走れるはずがない。万が一、オスカルが完走できる可能性があるとするなら、どこかで旦那さんを見捨てなければムリだ。
僕はそう思った。
他のランナーはみな、55キロで休憩し、服や靴下を取り替え、軽く食事をとる。が、ギリギリだったオスカルくんたちは、一切の休憩を取らずにそのままコースへと飛び出した。
すさまじい、執念を感じた。
この後の物語は、翌日、本人から聞いた話だ。
関門をなんとか通過しながらも、旦那さんの足の痛みは一向に解消しなかった。痛みが絶頂に達すると、旦那さんは立ち止まり、オスカルだけを走らせ、痛みがましになってからオスカルを追いかける、を繰り返した。
オスカルが必要な、固形食料を、旦那さんがリュックに背負っていた。旦那さんはフルマラソンなら3時間で走るスーパーランナーだ。さぞや、ウルトラマラソンの経験も豊富なんだろう。
と思っていたが…。
なんと旦那さん、100kmマラソンは、今回が、2回目とのこと!
しかも1回目は、2週間前のいわて銀河!
すべては、妻であるオスカルくんに、なかばムリヤリ引っ張り出された大会なのだ!しかも隔週で100kmを走るなんて!
そして案の定、サロマでは足の痙攣に見舞われた。フルマラソンを主戦場としている足が攣っていながら、100kmを走るなんて、どんな気持ちだろう?もし、この足が使い物にならなくなったら…という思いが、何度も頭をよぎったのではないだろうか。
それでも、旦那さんは、痛みが絶頂になったら止まり、また走り出し、オスカルに追いつく、を繰り返し、彼女から離れることはなかった。
オスカルくんも、必死の執念で走り続ける。90km関門に至っては、関門突破のため、なんとここにきてキロ6分の速度を出したらしい。
そして、その彼女を引っ張ったのは、他ならぬ、旦那さんなのだ。足が攣って、走れないはずの旦那さんが、最後の最後、オスカルくんを引っ張ったのだ。
「リタイアしようと思いませんでしたか?」
後日、僕は旦那さんに聞いた。旦那さんはしばらく考えたあと、静かな口調でこう言った。
「馨(『かおり』・オスカルくんの本名)をゴールに連れていくためなら、足の一本くらいくれてやる、と思っていました」
低体温症になる程ほど冷えついたワッカ、でもオスカルはレストポイントを素通りしている。上着も何も持っていない、Tシャツ一枚だ。
関門通過の時間の計算を間違っていた。少し、余裕があると思っていたのが、実は全く時間が足りなかった!!必死に走って、1分前に通過した。
ダメかもしれない、ダメかもしれない、寒い、寒い、もう間に合わない…
「ぎゃあああああーーーーっ!!!」
オスカルの絶叫がワッカに轟いた。なぜ自分が叫んだのかは、自分でもわからない、と次の日、彼女は言っていた。激しい焦りやストレスが、咆哮となって彼女の口から飛び出したのだ。
ラスト数キロ、でももう時間はほとんどない。間に合うのか?ダメなのか?
その時…
彼女の目に、数名の集団が見えた!!
Chamaさんだ!!
サロマンブルー(サロマ湖100kmウルトラマラソンを10回走破したランナーに与えられる称号)のゼッケンをはめ、常に12時間50分での完走を果たすペースで走るChamaさん。どんなランナーでも、Chamaさんについて行けさえすれば完走できる。いつしか人は彼を「完走請負人」と呼ぶようになった。
Chamaさんに追いついた!!もう大丈夫なんだ!!
彼女がそう確信したのは、100kmのうち、98kmを走破した時点であった。
僕の予想はすべて外れた。
35km地点でのオスカルくんの消耗具合を見て、僕は彼女は完走できまい、と予想した。
55km地点での旦那さん、痛みに顔をしかめていた。オスカルくんが完走するには、旦那さんが足手まといになる、と予想した。
オスカルくんは見事に完走した。そして間に合わない彼女を引っ張り間に合わせたのは、足手まといになると思った旦那さんだったのだ。
この2人の頑張りに、僕は涙が出るほど感動した。
そして、僕ももっと頑張れたのではないか、と思った。
あまり深く考えて自己嫌悪になるのはやめよう。ただ、もし、もう一度、サロマのスタートラインに立つことがあれば、この2人のことを思いだそう。
今年のサロマは僕にとって、オスカルくんと旦那さんのサロマだった。
翌日、誇らしげに僕に完走メダルを見せてくれたオスカル。ありがとう、この日の君は奇跡を見せてくれた。