本書の第1刷が発行されたのは2010年2月なので、もう7年も前になります。
BORN TO RUN 走るために生まれた ウルトラランナーVS人類最強の“走る民族"
- 作者: クリストファー・マクドゥーガル,近藤隆文
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2010/02/25
- メディア: 単行本
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チア・シード、ビブラム・ファイブ・フィンガーズ(VFF)、レッドヴィル・トレイル100、タラウマラ族、ワラーチ、裸足ランニング、スコット・ジュレク、そしてカバーヨ・ブランコ…
チアなど、今では誰もが耳にしたことがある固有名詞も、本書が出るまでは聞いたことがなかった、という人も多いはず。そういう意味では本書は、ランナー以外の人々のライフスタイルにも少なからず影響を与えていると言えると思います。
さて、そんな有名な本書ではありますが、意外にも、ランナーでさえ、読破したことがない、という人に多く出会います。
途中までは読み進めたんだけど、最後まで読めなかった、という人がけっこういます。
その理由は筆者の独特な構成法にあると思います。
筆者・クリストファー・マクドゥーガルは、一つの話題について話しながら、その際に登場して来た別の人物や事象についても、突然、詳細に語り出す、という書き方をしています。そしてその別の人物に影響を与えたまた別の人物が出て来たら、今度はその人について詳しいプロフィールを語り出す、といった具合に。
辛抱強く読み進めると、やがてそれらは見事に一つの流れにまとまるのですが、このような書き方は一見すると、大きな流れから支流が無数に流れ出て、ともすれば主流を見失ってしまい、読者は何についての話だったのかがわからなくなってしまう恐れがあります。
また、わかりやすく章を分ける、ということもしません。ウルトラマラソンについての考察が、いつのまにか人類の進化の問題へと移行していきます。
ですので読者が流れを見失ってしまう可能性も否定できない構成になっています。
僕の妻がそうでした。本書があまりの面白かったので僕は読了後、本書を妻に貸したのですが、妻は興味が持てずに、なんと本書を紛失してしまう有様…(^◇^;)
今、我が家にあるのは二冊目なんです。
3つのテーマ
さて、本書は大きく分けて3つのテーマについて書かれています。
一つは、カバーヨ・ブランコという謎の人物と、最終的に彼が開催した山岳レース、「コッパーキャニオンウルトラマラソン」についてのレポート。
二つ目は、ナイキをはじめとするスポーツシューズメーカーが現代人の走り方を変えてしまった罪について。
三つ目は、人間は走るために生まれた動物であるという仮説の立証です。
特に二つ目と三つ目は、従来の常識と全く逆。興味がわかないわけがありません。
それぞれについて見て行きましょう。
カバーヨ・ブランコ
カバーヨ・ブランコ、本名マイカ・トルゥーが本書の物語に最初に絡んでくるのは、1994年に行われた「レッドヴィル・トレイル100」というレースで、アメリカの優秀なトレイルランナー、小柄な女性・アン・トレイソンが、タラウマラ族のランナーと死闘を繰り広げる場面に登場します。
タラウマラ族とはメキシコに住む原住民で、「走る民族」と呼ばれ、走ることに根ざした生活をしているため、全ての住民がウルトラランナーと言ってもいいほど潜在的に走る能力に長けた民族。
タラウマラ族と彼らを支援する人々は、レースの前にペーサーをやってくれる人物を探し出すことができません。たまたまいた、ボサボサ頭(シャギー)の人物が、できる、というので、藁をもすがる気持ちでシャギーに依頼します。
来るかどうかもわからなかったシャギーですが、ちゃんと約束通りにやって来ます。そして彼は期待以上の働きをして、タラウマラ族のピンチを救い、アン・トレイソンに勝利する一役を担うのでした。
しかしタラウマラ族はこの時、彼らを支援していたリック・フィッシャーという人物のあまりの傍若無人な振る舞いに嫌気がさし、2度とレースに帰って来ることはありませんでした。そしてシャギーも、彼らの後を追うように、メキシコの奥地に消えていくのでした。
シャギーはのちにカバーヨ・ブランコ(白い馬)と呼ばれ、タラウマラ族と親交がある数少ないアメリカ人になります。
カバーヨの計画
彼を探し当てた筆者は、カバーヨがある計画を立てていることを知ります。タラウマラ族がもう2度とアメリカの大会に出る気がないのなら、このタラウマラの地でレースを開催しよう、という計画。
しかしその地は、麻薬関係の組織が暗躍する、極めて危険な地。名のあるランナー達がわざわざそんな紛争地帯のレースにやってくる可能性は薄い。でもカバーヨによる長い年月をかけた説得と、筆者の働きにより、アメリカからウルトラランナーが集まります。
スコット・ジュレク
中でも、生きる伝説・スコット・ジュレクの参戦は驚きでした。カバーヨはスコットに関する記事を読んでいたので、彼の中にタラウマラ族の魂を見出し、彼の参戦を絶対条件としていたのです。
ベアフット・テッドとルナ・サンダル
ベアフット・テッドなる人物は、裸足で走ることで足や腰の痛みから解放された人物でした。山岳地帯を裸足で走るなど狂気の沙汰ですが、彼はやってのけます。おしゃべりで、ハイテンションな彼の性格は、物静かなカバーヨとは相いれず、一触即発の関係になります。
しかしベアフット・テッドは、かつてアン・トレイソンと死闘を繰り広げたマヌエル・ルナというタラウマラの偉大なランナーの悲しみを知ることになります。彼の最愛の息子にして偉大なランナーだったマルセリーノの死から立ち直れていないマヌエル。ベアフット・テッドは、ワラーチ作りの名人であるマヌエルからワラーチ作りを教わることで友情を育みます。
やがてそのワラーチ(サンダル)はマヌエル・ルナの名前を取りルナ・サンダルと呼ばれ、今では世界中で履かれるサンダルとなっています。
ジェン・シェルトン
若く美しいジェン・シェルトン。カバーヨは彼女を「ブルヒタ・ボニータ」(かわいい魔女)とタラウマラ族に紹介します。その名前はかのアン・トレイソンを「ブルハ」(魔女)とタラウマラ族が呼んでいたことを想起させます。
アンの娘なのか?と聞くタラウマラ族に、カバーヨは、「血の繋がりはないが、魂の繋がりはある」と説明します。レッドヴィルから12年、ブルハが雪辱を果たしに戻って来たのだ、と。
レースは…
レースは、アメリカ最強のウルトラランナー・スコット・ジュレクと、タラウマラ族最強のアルヌルフォ、シルビーノ、そして中盤まではジェンも絡めた手に汗握る展開となります。最後は、偉大な世界チャンピオンではなく、無名のアルヌルフォが勝利を飾ります。
世界王者・スコットが敬意を込めてアルヌルフォに一礼をして、レースは終わります。
スポーツシューズメーカーの罪
この部分は、ナイキの名前がバンバン出て、ナイキこそ人類から正しい走り方を奪った張本人である、と断罪しています。こんなこと書いて大丈夫なのかな、ナイキから訴えられないのかな、と読んでいる側が心配になるような内容です。
ハイテクなランニングシューズって、本当に必要なのか?シューズのサポート機能が増えれば増えるだけ、足は自然な状態から遠ざけられてしまうのではないのか。
その証拠に、毎年、全ランナーの80%は負傷をしています。アキレス腱の障害は10%増加し、足底筋膜炎は横ばい。
挙げ句の果てには、
「ランニングシューズで怪我をしにくくなることを確かな根拠で示した研究は一つもない」2008年英国スポーツ医学ジャーナル
「最高級シューズを履くランナーは安いシューズより怪我をする確率は123%増える」
「履き古されたシューズの方が新品より安全」クッションが薄くなるとランナーが足をコントロールしやすくなるから。
「クレイジー・フット実験の成功」シューズが磨り減ったら、左右を逆にして履いてみると、快適なはき心地であった。→意図された通りの履き方をしなくても平気であるということは、その設計はそれほど大したものではない。
と言った、高機能シューズの存在を否定するあらゆる文献や実験結果が提示され、ランナーを愕然とさせます。
ナイキの罪
ナイキは、それまで薄いゴムを貼った程度であったシューズに、ふわふわのクッションをつけて、骨ばったかかとで着地できるようにしました。これは重心よりも前に着地することで少しでも距離を稼ごう、という考えに基づいた設計でした。
偉大なマラソンランナーは、幼稚園児のように走ります。つまり人間は真下で着地するようにできているのに、ランニングシューズのせいで重心より前で着地する走り方を覚えてしまった、というわけです。
そしてこの事実にナイキ側も気づいていたので、「裸足で走れ」がコンセプトの「ナイキ・フリー」を発売するに至った、と結論づけています。
BORN TO RUN
僕が最も興味深く読んだのはこの三つめの部分、人間は走るために生まれて来た動物である、という仮説です。
「走ることが体に悪い」これは子供の頃から折に触れ言われて来たことです。人間は一歩走るごとに○階上から飛び降りたのと同じ衝撃を膝に受けているなどということを言われたこと経験は誰にでもあると思います。
ネアンデルタール人の謎
ネアンデルタール人はホモ・サピエンスに比べて強く、タフで、脳も大きい、つまり賢かったと思われます。にもかかわらず、ネアンデルタール人が滅び、ホモ・サピエンスが我々の先祖になったのはなぜなのか?
20万年もの間、ヨーロッパでネアンデルタール人は快適に暮らしていたのに、ホモ・サピエンスが現れた1万年後、ネアンデルタール人は姿を消します。理由は誰にもわかりません。
より弱く、鈍く、痩せたホモ・サピエンスに、生死を分かつ優位性があったとするなら、それは一体なんなのか?
地球上の脊椎動物の全歴史の中で、二足で走る、尾のない生物は人間だけです。つまり、人間は、走る動物として進化したのでしょうか?
チンパンジーと人間はDNAの95%が共通しています。でもチンパンジーは走ることができません。
ではチンパンジーになくて、人間にあるものとはなんでしょうか。
アキレス腱、土踏まず、大臀筋、項靭帯。項靭帯とは首の後ろにある、早く動く際に頭を固定する役目をする靭帯のこと。
それらは全て、走る際に必要になるもの。
400万年前のアウストラロピテクスにはアキレス腱も項靭帯もないけど、200万年前のホモ・エレクトゥスにはあります。
やはり人間は、走るために進化したのでしょうか。
呼吸
全ての走る哺乳類は、一歩走り、一回呼吸します。動物は呼吸により涼を取っています。
唯一の例外が人間。数百万の汗腺により、体温を冷やすことができます。人間は1呼吸1歩にこだわる必要はなく、走りながら自由自在に呼吸ができます。涼は汗腺から噴出する汗でとります。
しかし人間の足は遅い。一瞬でチータに襲われる程度の脚力しかないのなら、汗腺や項靭帯など、なんの役にも立たないのではないでしょうか。走る進化など、意味がないのではないでしょうか。
持久狩猟
200万年前、アウストラロピテクスからホモ・エレクトゥスに進化した時、人間は肉を食うことでカロリー、脂肪、蛋白質を補給するようになっていました。でもどうやって狩猟していたのでしょう。弓矢は2万年前、槍は20万年前にしか完成していないというのに。
ネアンデルタール人は待ち伏せによって動物を狩猟していました。でも4万5000年前には地表は草原に覆われ、待ち伏せに適したゴツゴツした岩がなくなってしまいました。
唯一、考えられる方法が持久狩猟という方法です。
汗腺で体温を冷やせる人間は、全ての動物で最も長い時間、走り続けることができる動物です。
鹿を追いかけて、獲物が倒れるまで走り続ける…。
実際にやってみた科学者たちはことごとく失敗します。追いかけられた動物たちは落ち着いて群れに逃げ込み、狩猟者たちはどの鹿が追いかけていた鹿かわからなくなってしまいます。
しかし、この狩猟方法を今に伝える人類最後の6人が、カラハリ砂漠に残っていたのでした。
彼らは4人でチームを組みます。一頭に狙いを絞ると、その鹿が林に逃げ込めば先頭を走るものが日なたへと追いやります。離散を繰り返す群れにあっても目当ての鹿を間違えないように徹底的に追跡します。孤立化させ、休ませない作戦です。
やがて、先頭の年長狩人が脱落すると、力を温存して後尾にいた熟練狩人が水筒を受け取り前へ出ます。
こうして鹿は疲れ果て、倒れてしまいます。それに必要な時間は、2時間から5時間。
それはちょうど、現代ではマラソンを走るのに必要な時間と一致します。「全てのレクリエーションには理由がある」、と言われる所以ではないでしょうか。
人類は武器で獲物を狩猟する遥か前から、自分の足を使って狩猟する、この方法で生きてきたのではないか。
氷河期が終わり、平原が地表を覆ったら、大きな体のアウストラロピテクスが死に絶え、痩せたホモ・サピエンスがこの方法で残ったのではないか。
つまり人間は走ることで命を繋いできた動物なのではないか。
たいへん面白い仮説を筆者は我々の前に提示します。
僕たちがなぜ走りたいと思うのか、その理由は、DNAに組み込まれた本能だったのかもしれない。
走りながらそう感じたことのあるランナーは多いと思います。でもうまく説明できなかったその気持ちを、本書が代弁してくれたような気になります。
まとめ
それまでは当然だと思われていた、高クッションのランニングシューズが、実は足を痛める原因の一つである、ということ
人間は走るようにはできていない、という定説を覆し、人は走るように進化したのだ、という仮説
これらの、考えもしなかった話は世界中のランナーに衝撃を与え、ランニングに対する考え方に大きな変化を与えました。
ランナーでなくても一読の価値のある書物だと思います。
ただし、前述の通り、構成に癖があるので、じっくり読みましょうね!!
PS
カバーヨ・ブランコことマイカ・トルゥー氏は、本書が発表された2年後、2012年4月に、トレイルに走りに出た後、遺体で発見されました。
手には水筒を持ち、外傷はなく、愛犬を小屋に残したまま。
足を踏み外し、打ち所が悪い転倒でもしてしまったのでしょうか、詳細は永遠にわからないでしょう。
心よりお悔やみ申し上げます。