走れダイエットランナー!

ポンコツ夫とポンコツ嫁はん。ランニングで健康維持しつつ映画やテレビ見ながら言いあらそうブログです。

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北海道マラソンの思い出 2013年8月25日

 

 






 

 

 

 

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① 20kmを越える

 

②完走を目指す

 

③絶対、無理はしない

 

④棄権はしない

 

 

①については、一ヶ月前から三回、ロング走の練習をした。道マラ関門は20km2:30。キロ7分で突破できる。でも常に足底筋膜炎が13km〜17km地点で大爆発を起こし、先に進めなくなった。三回とも到達できなかった。

 

②については、マラソン大会に出る以上、それを目指さないランナーなんかいるかい?ダメだろうことは容易に想像できるけど、「もしかしたら」の思いを捨てないようにした。

 

③は、二ヶ月後には大阪マラソンに当選している。北海道マラソンにベストをつくすのは当然だ、でもベストと無茶は違う。へんな後遺症で大阪に影響を残してはいけない。

 

④は、足底筋膜炎は痛いけど、爆発しても歩けないほどじゃない。「もうダメです」とバスを待つのは絶対にしない。次の関門まで這ってでもたどり着く。他のラン友もみんなそうしてる。

 

この四つを胸に秘め、僕はスタートラインに立った。

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2011年11月、初めて神戸マラソンを走ったときは、スタート前、緊張でイッパイイッパイだった。でも奈良、東京と走り、四回目のフルマラソン。

 

緊張感はまったくなかった。

 

スタート前は快晴、気温も25度。道マラ最大の敵は暑さと聞いていたが、実に快適な気温だ。そんな状況も、緊張感をほぐしてくれたのかもしれない。

 

時間通りに号砲が鳴った!スタートした!

 

スタートして約1kmは足底筋膜炎がズキズキ痛むが、いつもはやがていったんおさまる。

 

なぜか今日はなかなか収まらない。オイオイ頼むよ、1〜2km程度てギブアップなんてできないよ!

 

そう思ってたが、いつしか痛みは消えていた。

 

二日前、善積さんと田尻さんか、テーピングについて僕にレクチャーしてくれた。この二ヶ月、足底筋膜炎に苦しみながら僕はテーピングはしていなかった。自分の足にテーピングして写真をアップして、解りやすく教えてくれる善積さんと田尻さん。

 

その通りにやってみると、普段の歩行時はまったく痛みがなくなった!たった一枚、テープをはるだけでエライ違いや!

 

これ貼って走ったら…?

 

どうやっても越えられなかった20km、越えられるかも知れない!

 

絶対、届かないと思ってたゴールに、たどり着けるかも知れない!

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さらに前日のラン友決起集会で、田尻さんは二種類の薬をくれた。

 

そいつも指定通りに飲んだ。

 

腰に回したポーチはパンパンだ。

 

エネルギージェルは10km毎に摂取する。僕はフルマラソンを走るんだ。四つ必要だ。

 

アミノ酸は5km、15km、25km、35km。これも四つ。

 

さらに渡部さんが教えてくれたベスパハイパー。15km、25km、35km。これは三つ。

 

さらに塩も持った。とにかく、日本唯一の真夏のマラソン大会、熱中症やハンガーノックにだけは気をつけないと。

 

35km越えて足が痙攣したら飲むコムレケアも持った。35kmなんか行けると本気で思ってるの?と問いかけるオレがいる。

 

無理かも知れない。でも、スタートラインに立つ以上、帰ってくるための装備を持つんや!マラソンランナーとして最低限の心構えやろ!?

 

5kmくらいかな、背後から突然、

 

「がんばって!」

 

明るい大きな声。振り返ると、ヒマワリみたいな笑顔の田尻さんだ。

 

「足、大丈夫?!」

 

「うん、まだ平気。薬も飲んだで!」

 

「そう、気休め程度だけどね!歩かなければ(ゴールまで)行けるからね!」

 

そう言って彼女は風のように走り去った。足元は裸足にワラーチ。メキシコインディアンのいでたちだ。でもきのうとはヒモの色が違う。そのあたりは女性らしくて微笑ましかった。

 

妻は交通の便を考慮し、7kmと16km地点にいる、と打ち合わせしておいた。ハッと気づくと、黄色いアフロにシンプルな「博」ステッカー。

 

「もうココ7kmなん?!」と僕は妻に聞いた。実はスタート直後、ガーミンが衛星を捉えられず、(周囲のガーミンユーザーは皆、同じ状況だった)自分の距離がよく分かっていなかった。

 

後から気付いた。アフロは恥ずかしいから被らないと言っていたのに。きっと僕が見つけやすいように被ってくれたんや。16kmで合流したとき写真とろう。

 

全般的に、沿道の応援は控えめだ。道民の皆さんは大阪人みたく前へ!前へ!の性格ではないようだ。

 

ハイタッチもあまりない。と…

 

14キロ地点。うら若き乙女たちの集団がハイタッチを求めてる!

 

グーン!とコース変更し、乙女たちの待つところへ!

 

「イエーーイ!!」北海道の女性は、差し出す手も色白でどこか悩ましい!ハイタッチがめっちゃエッチな感じやった!何やったら、ぐるっと回ってもう一回列に並びたいほどの嬉し恥ずかしハイタッチでした!

 

この時、僕は自分がするべきもう一つのことを思い出した。「応援に呼応する」だ。

 

初マラソンの時は、沿道のすべてが新鮮で、ハイタッチをはじめ、様々な応援に呼応した。でも過酷なマラソンの中でPBを狙った二度目、三度目のレースでは、無駄な体力を使うまいと、応援にはあまり呼応しなかった。

 

左足はそろそろ痛みだしてはきたが、足痛をかばいながらのキロ7分ペース、心肺的には余裕がある。

 

このあたりから延々と続く一本道。はるか先で折り返すが、周囲に建物もなく駅からも遠く、応援はほとんどなくなる。

 

右手は復路。復路を隔てて、復路用の35km地点の給水所。トップランナーたちが折り返してきていたが、まだまだ少ない。給水所スタッフさんたちは、往路の僕たちに向け声援をくれている。

 

僕は彼らに手を振った。

 

三拍子でメガホンを叩いている。それに呼応して、三拍子でコブシを天に突き上げた。

 

スタッフさんたち全員が僕を見た。

 

「待ってるからね!待ってるからね!」

 

スタッフさんたちの声が聞こえた。

 

涙が出そうになった。こんな僕に声援をくれて、待ってるといってくれるんや。

 

35km地点、必ず、たどり着かないと!もう一人の僕が、「本気でたどり着けるつもりか?」と聞いてきた、あの35km地点へ!

 

16km地点、妻がいた。「足、大丈夫?!」

 

「うん、そんなに痛くないねん。念のため、39km地点に行っといて!」

 

39kmにはラン友のぼりと共に、応援団がいる。そこまでたどり着きたい。

 

しかし…

 

足底筋膜炎は、徐々にその存在を主張し始めていた。

 

でもまだまだ小規模バクハツだ。先日の17km地点でのビッグバンを経験している身としては、まだ全然、頑張れる!

 

もう一人の僕が「やる意味あんの?」と聞いてきた、わずか一週間前の30km走だったが、いま僕は胸を張って言える。やはりやる意味はあった!あの経験は今の大きな自信だ。まだ頑張れる!

 

気がつけば空が真っ黒になってきた。

 

小粒の雨がパラパラ、パラパラ。

 

突然、スコール並みの豪雨が北海道の一本道に叩きつける!凄まじい雨量、息ができないほどだ!

 

同時に強風が吹き付けてきた!

 

でもそれすら嬉しい!楽しい!

 

広大な北の大地、地平線の彼方まで続く一本道を延々と、延々と、カミナリ様の怒りみたいな豪雨を全身に浴びながら、走り続ける!

 

大自然の中で、生きているって実感を、ひしひしと感じた!!

 

キロ7分で走る僕の周囲は、最後尾に近い集団だ。給水所でも前のテーブルには水も氷もなくなっていた。落ち着いて先のテーブルに目をやる。先にはまだある。水分と共にジェルやサプリを補給、でも手が震えてサプリを取り出すのに時間がかかる。

 

20km。20km。

 

遥かなる20km。この一ヶ月、二時間半ではただの一度もたどり着けなかった、遥かなる20km。

 

その線をいま、踏んだ!2時間21分だ!

 

「やった!やった!」小さくガッツポーズをした!ついに20km、突破した!

 

足は?足は?

 

まだ大丈夫や!痛いけどそれほどじやない!

 

胸のつかえがスーッと晴れる感じがした。ずっと僕はハーフマラソンも走れないダメランナーに成り下がってしまった、と自己嫌悪になっていたから。

 

中間地点、2時間31分で通過した。フルマラソンに換算すると5時間強。やはり厳しいな。

 

僕のPBはこの二月の東京マラソンの4時間29分だ。

 

あの時は自分の亀足ぶりが恥ずかしかったが、あの時、ここをいまより15分以上速く通過していたのだ。

 

そう思うと複雑だった。あの記録で満足してはいけないだろうけど、決して馬鹿にできるような記録じゃなかったんや。

 

足の痛みは少しずつ、鋭くなってきた。時々、ズキン!と大きいのがきた。

 

歩くか?と自問するような痛み。でも歩くと爆弾が大爆発の恐れがある。ゆっくり、小股に、足を動かし続ける。

 

「25km関門まであと5分です!」

 

係員さんが叫んでいる。大丈夫だ、関門はすぐそこ、間に合う!

 

4分を残して関門を通過した。20kmと思ってたのに、25kmを過ぎた!

 

長い長い一本道、やっと折り返し点を過ぎた。

 

足が痛い。ガーミンを見る。キロ7分40秒になっている。さっきから気付いてた。ペースはぐっと落ちている。

 

右腕にマジックで書いた関門時間。次は28.2km。3時間26分で閉鎖される。

 

ペースをあげる!が…

 

ズキン!とくる左足。

 

時間をみる。もうほとんどない。

 

関門は?関門は?

 

まだ見えない。

 

係員さんの声が聞こえた。

 

「あと20秒!走れば間に合う!」

 

ハハハ、と自嘲的に笑う他のランナーを尻目に、僕は猛ダッシュをかけた!

 

足底はもう、靴の中で、ビールビンを丸呑みしたヘビみたいに腫れ上がっている!でもそんなことはいい!

 

ここを越えないと!

 

35kmの給水所に行かないと!

 

39kmにいるラン友のみんなに会わないと!!

 

そして、そして…

 

ゴールしないと!!

 

でも足が前に出ない!!

 

関門が見えない!

 

ちくしょう、ちくしょう!

 

関門が見えた!!あの時計や!!時計は…

 

3:26:00。

 

係員がロープの端をもって、サッとコースを横切った…

 

僕の目の前で、ロープが引かれた。

 

ああ…

 

あっけない幕切れだった。

 

僕は足をとめた。

 

終わった…

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正直なところ、心のどこかでホッとしていた。もう、走らなくていい。もう、左足の痛みから解放される。

 

同時に、悔しい気持ち。ずっとずっと、足底筋膜炎と戦いながら、走れないときは6時間歩いてトレーニングしてきた。この日のために、ずっとずっと。

 

でも不思議と…。

 

とても、穏やかな気持ちだった。やることはやった。アカンかったけどね。

 

あまり覚えていない。いつの間に、あんな沢山のバスがあの関門地点に集合していたのか。いつの間に、自分がバスに乗り込んだのか。いつの間に、バスが発車したのか。

 

「暑かったですね!」隣の席のおっさんが話しかけてきた。

 

「…えっ?」やっと現実に舞い戻っか気がした。このおっさん、今日が暑かったと言ってるのか?

 

「ホノルルマラソンの時も、暑くて暑くて、途中で走れなくなって。今日も同じでした。20kmくらいでもう走れなくて…。でもあの雨で、カラダが冷えて、なんとか復活したんですけどダメでした」

 

「今日が暑いとは…まったく思いませんでしたよ」と僕は答えた。口調に気をつけながら、話した。「去年はスタート時点で29度あったらしいです。だから北海道マラソン最大の敵は暑さと聞いてました。夏中、ずっと暑い中、走る練習してました」

 

「へえ!去年はもっと暑かったんや?!」

 

おっさんは言った。関西人のようだった。

 

「お話しを伺うかぎり、軽い熱中症やおまへんか?」こっちも関西弁で言った。

 

「水はタップリ飲んでましたで?!」

 

「水だけやったらあきまへん、汗と共に失われる塩分やミネラルを補給しやなあきまへん…」

 

僕は残ったアミノ酸やアスリートソルト、エネルギージェルを取り出し、おっさんに説明した。おっさんは初めて見るものばかりのようで、真剣に聞き入ってた。

 

所詮、僕もおっさんも同じ関門でアウトになったランナーだ。僕は口調にだけ気をつけ、おっさんに僕の知識をレクチャーした。

 

レクチャーしながら思った。

 

北海道マラソンが暑さとの戦いであることを教えてくれたのは誰や?

 

ラン友ののぶさんだ。

 

アスリートソルトやエネルギージェルのことを僕に教えてくれたのは誰や?

 

Chamaさんだ。

 

サプリの摂取や、そもそも走り方を教えてくれたのは?

 

ラン友のKimさん。

 

アミノ酸をゼッケン裏に留めれば摂取しやすい。

 

これは真木さんが教えてくれた。

 

汗冷えを防止するフラッドラッシュスキンメッシュはカポエラガールが教えてくれた。

 

足底筋膜炎を診てもらった島田病院は善積さんの紹介だ。

 

今回、奇跡を起こしてくれたテーピングは、田尻さんと善積さんが写真つきで教えてくれた。

 

田尻さんはわざわざ痛み止めと筋膜を和らげる薬を持ってきてくれた。

 

自分一人で走っているなどと、おこがましいことを思ってはいない。

 

でもこうして考えると、僕はとても沢山のラン友に支えられていたんだということに、改めて気付いた。

 

みんながいなければ、28.2kmにさえたどり着けなかったのは間違いない。

 

胸の中が、暖かい満足感でみたされた。

 

斜め後ろに座ってた人がゲロ吐いたけど気にならなかった。

 

バスには1時間くらい乗っていた。マラソンはまだ続いてる、交通規制の中、ゴールに向かうのはかなり遠回りしたと思われる。

 

バスを降りた。

 

フィニッシュしたランナーたちが、フィニッシャータオルを肩にかけ、満足げに歩いている。

 

やっぱり、悔しかった。

 

あのタオルがどうしても欲しいと思った。

 

合流した妻に、開口一番、僕は言った。

 

「おもろかったね、来年も来ような!」

 

 

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