陳腐なセリフにご用心
これは以前から頭の片隅でくすぶっていた疑問ですが…。
今回、篠山の道の上で、はっきりと疑問に思ったことがありました。
感動的な言葉としてよく使われる
「たとえわずかな可能性でも、ゼロじゃない限り、それに挑み続けるのだ!!」
的な言葉です。
なんか、あの決まり文句を出されれば、聞いてる人間は無理矢理にでも感動しなければいけない的なポジションにある言葉。
しかしながら。
あの言葉の弱点は、
「わずかな可能性」
の定義が極めてあいまいな点です。
道での経験
こちらの記事でも書きました通り、
僕は30.6kmの関門を2分前で越えたにもかかわらず、その直後、立ち止まった時の足の痛みに耐えかね、心が折れ、歩いてしまいます。
やがて、たった1人で走り続ける女性の姿に心を動かされ、再び走るのですが…。
歩いたり、友人にメールを送っていたりしたのが災いし。
「関門まであと1.5km」
の看板が見えた時点で、残り時間は3分でした。
もうムリ。
もちろん、この看板が見えるずっと前から、自分がもう関門に間に合わないことは自覚しながら走っているのですが。
この看板が見えた時、はっきりとわかりました。
絶対に間に合わない、と。
可能性はある?ない?
さて、ここで問題です。
冒頭の感動的な決まり文句
「たとえわずかな可能性でも、ゼロじゃない限り、それに挑み続けるのだ!!」
の件ですが。
時間を巻き戻し、この時点の僕にタイムスリップしてみましょう!!
この時、僕はどう思えばいいのでしょうか!!
残り時間はゼロではありません。だから可能性も、まだゼロではないのかもしれない。
しかしながら。
残り1.5kmを3分で走るには…。
1キロをわずか2分で走らなければなりません!!
そんなヤツ、おるかー!!(^_^;)
おったらフルマラ1時間24分やっちゅーねん!!
つまり、あの看板が見えた時点で…。
僕があの関門を超えることができる可能性は限りなくゼロに近かった、というわけです。
1.5kmだけキロ2で走破せよ
確かに、フルマラソン全部をキロ2分で走る必要はありません、1.5kmだけをキロ2分で走ればいいのですから。
おっ、ということは、可能性、復活かっ??!!
1キロを2分で走るということは…。
100メートルなら12秒で走ることになります。
大学生の100メートルの平均タイムは15秒程度。
つまりあの時点で、
①僕の足が大学陸上部短距離選手並みで、
②しかもそれを1.5km、走り続ける持久力がある場合のみ、
関門が突破できたことになります。
結論
つまり、どう考えても、
あの時点で僕があの関門を超える可能性はゼロだった、と断言してもいいと思います。
可能性は、ゼロだった。
「たとえわずかな可能性でも、ゼロじゃない限り、それに挑み続けるのだ!!」
このご託宣の弱点は。
可能性がゼロだった場合、もう挑まなくてもいいのか??
という点なんです。
わかっていますよ。
この論法は、
「良い子は真似をしないでね!!」
の注意書きに、
「では、悪い子はいいのか??」
とツッコむ程度の話だ、ということは。
しかしながら、僕が強調したいのは。
挑み続けるのは、可能性の問題ではなくて、
そうすることが正しいから、
だと思うのです。
あこがれの、道の上で。
あの時、彼女が何を考えていたのかはわかりません。
もしかしたらまだ間に合う、と本気で考えていたのかもしれません。
しかし、僕は、レースが終わって5日も経った今日も、この写真を見て胸が熱くなるのです。
この写真の中で、走っているのは彼女ひとり。
諦めて腰掛けている男性や、しし汁エイドに入ろうとするランナーたち。エイドを終えながら、なかなか走り出せないランナーたち。
彼女はエイドになんかまったく寄る意思がないことは、彼女とエイドとの距離を見ていただければわかるはず。
もちろん、エイドに罪はありません。時間さえあればこのエイドに寄って、しし汁をいただければ走るパワーも湧いて来るというもの。
残り時間21分、関門まで2.8km。
彼女の速度は、キロ8分30秒。
キロ6分20秒じゃないと間に合わないのです。
それでも彼女の姿が僕の心を動かすのは。
それが正しい姿だ、と思うからです。
あきらめも肝心、という人もいます。
でもそれは、会社とか人間関係とか、現実社会での話。
ここはマラソンロード。
ランナーにとっては憧れの、夢の道です。
ランナーってもともと、
真摯で、
ひたむきで、
愚かしいほど正直で。
42kmも走ろうと思う連中は、みんなそんな、愚直な人たち。
だからダメでも走り続けるその姿が。
可能性がゼロでも、ゼロさえ下回っても。
それでも走り続けるその姿こそ、
愚直なマラソンランナーの、あるべき姿なのだと思うのです。
あの時、彼女の姿を見て、僕はそれを教えられました。
それでも愚かな僕はきっと、次のマラソンを走る時も、苦痛に耐えかねて、忘れてしまうかもしれません。
あの道を走った記憶を。
だから今日も、シューズを履き換えて、走りに行こう。
忘れないように。
あの道の名前を。