1週間前。第38回大阪国際女子マラソンは幕を閉じました。
福士の転倒や日本選手の不振など、色々ありましたが、いい天気に恵まれ、とても素晴らしい大会でした。
僕たちもいつもの場所で応援しました。
35kmすぎ、杭全の交差点付近で僕が応援している理由については、以前にもこちらの記事に書きました。
この道の上でしか会ったことのない友人。国際資格を持つほどの強いランナーでありながら、苦しい病に侵されてしまって、現在は闘病中の彼女。
病に打ち勝ち、再び彼女がこの大会に戻ってくるまで、彼女と会ったあの地点で、ずっと留守を預かっているんです。
彼女の今は
未だに僕が彼女とお会いしたのは、たった数秒間の道の上でだけですが。
彼女が病気と闘いながら、少しずつランニングの練習を再開されていることは、FBを通じて知っておりました。
もちろん、今年の38回大会には出られるはずもありませんが。
彼女が闘っている病気は、とても怖い病気。
誰もが恐れる病気。
かつては「絶望」と同義語であった、と言っても過言ではありません。
でも今では、かなり医学の進歩が進んで。
同じランナー仲間でも、その病気と闘い、あるものは克服し、あるものは闘いながら、ランニングを続けられています。
もちろん、それに倒れた友もいます。
同日、同時刻
今の彼女は…。どうなんだろう。
聞きたくても聞けなかったこの疑問。
今年の38回大阪国際女子マラソンの日に、彼女の方から教えてくれました。
あの日
2019年1月27日(日)、
はるか大阪の地で号砲が鳴った12時10分。
彼女はいつも走っている公園をスタートしました。
そして3時間10分に渡ってその公園を走り続けました。
3時間10分、それは…。
彼女が大阪国際で出したベストタイム。
あの頃の自分と今の自分とを、比べてみたかったのです。
かつては42.195kmが走破できた時間で、
今年は38kmを走ることができたそうです。
厳しくなった国際資格
実は大阪国際女子マラソンの参加資格は、2017年から厳しくなっていて。
それまでは、フルマラソンで3時間13分だったのに、2017年から3時間10分になっています。
正確には彼女のベストタイムは3時間10分57秒。
今までのベストタイムで走ったところで、大阪国際女子の資格に届かない。
だから今、彼女は、ガンを克服し、同時に自らのベストタイムも更新しなければならない、という2つの重りを抱えていらっしゃいます。
彼女の言葉
それでも、3時間10分で38kmを走れたことを、
とっても楽しかった
と表現され。
現在の病状に関しては、
完治はしないけど、薬も減り、診察も3ケ月に一回になりました。
先生も元気さにびっくり(笑)
とのことでした。
再会の日を夢見て
来年になるのか、2年先か、たとえ何年先でも。
僕は初めて会った、あの場所で彼女を待とう。
そのことが少しでも彼女の支えになっているのなら、そんなことはお安い御用だ。
そして僕自身、数日後には心臓に管を入れる治療に向かわなければいけません。
しかし彼女や、彼女と同じ病気で戦っている人たちのことを思えば、心が奮い立たずにはいられません。
年齢を経るに従い、病気は増え、身体は衰え、
去年はできたことが、今年はできなくなるはずなのに。
フルマラソンの1分短縮を目指して、ガンの薬を飲みながら走っている彼女に。
僕は心から敬意を評したいと思います。