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6/3「激レアさんを連れてきた。」 北海道初のボクシング日本王者のトレーナーはど素人の元OL!!誤審で破れたタイトルマッチからの復活は落涙必至の感動物語でした!!

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acworksさんによる写真ACからの写真

 

弘中アナのいつもの

 

今日の激レアさんはこちらの方です!!

 

の合図に、椅子がくるりと回って激レアさん登場…。

 

のはずが、椅子には誰も座っていなくて。

 

関根さんが

 

ボイコット?

 

と聞いていると、ホワイトボードの横から中年女性が、

 

どうも。

 

って言って出てきて、若林たちの前を横切ってその席に着く、という初めての演出。

 

全員が戸惑う中、

 

アカサカさんはとてもシャイな方ということで、本人たっての希望でああいう登場の仕方で…。

 

と弘中アナが説明。

 

誰がどう見ても、この登場の方が目立ちまくりなんですが。

 

シャイ?ふてぶてしい?

 

また、アカサカさん、シャイなはずですが、質問に答える様子は正直なところ、シャイというよりは「エラそうな」「ふてぶてしい」態度。

 

その理由は、すぐにわかります。

 

アカサカさんは、

 

ボクシング未経験のOLだったのに突然トレーナーとなり、素人ボクサー北海道初のチャンピオンに育て上げた女性

 

という人物。

 

格闘技を生業にされているので、どこかふてぶてしさを感じてしまうのは仕方ないと思いました!!

 

 

ボクシング未経験どころか、興味もなかったという彼女。

 

一体どういうことでしょうか。

 

彼女は、第29代日本ライトフライ級チャンピオン、畠山昌人さんのトレーナーだったそうで。

 

ja.wikipedia.org

 

小説家されている!!

 

この、アカサカさんと畠山さんの物語は、2017年に小説となったそうで、それがこちら。

 

無敵の二人

無敵の二人

 

 

収録にはアカサカさんに乞われて、作者の中村航さんも収録現場に同席されていました。若林と中村航さんは飲み友達とのことでした。

 

元OL ジムでお留守番

 

実はアカサカさんのお父さんは、元日本ミドル級チャンピオンの赤坂義昭氏。

 

ja.wikipedia.org

 

しかしながらお父さんの引退後に生まれ、ボクシングには何も興味がなかったというアカサカさんがなぜボクシングにのめり込んだか。

 

それは彼女の、ある性格に起因します。

 

極度のハマり性

 

①あんかけ焼きそば事件

 

あんかけ焼きそばにはまった彼女。

 

10日間ずっと1日2食、あんかけ焼きそばしか食べない日々を送りました。

 

若林:黄金伝説でやるやつじゃん。

 

10日目に吐いたそうです(^_^;)

 

②ボウリング48事件

 

AKB48にはまった彼女。

 

ボウリングを48ゲーム、1日10時間かけてやったそうで。

 

アカサカさん:右腕の靭帯損傷して、左足の親指の爪が剥がれましたね。

 

③私立恵比寿中学事件

 

ジムの練習生に、ボクシングとは関係ない私立恵比寿中学の筆記試験を実施していたそうです(^_^;)

 

  

なぜアイドルにハマりやすいのか

 

不完全な子がもがいている姿にズキュン!!と来るらしく。

 

その性格が、やがて日本王者を生み出す原動力となります。

 

OLからジム手伝いへ

 

OLをやっていると、お父さんが脳梗塞で入院。お母さんから「会社辞めてジムの留守番をやってみない?」と言われ。

 

①会社が辞めれる(早起きが嫌いだった)

 

②親孝行っぽい

 

という理由でこの申し出を快諾。

 

親譲りのボクシングセンス

 

こうしてただのジムの管理人となった彼女ですが、やがて練習生の動きを見て、

 

下手だなあ

 

と思うようになります。

 

まだ学生だった頃、お父さんがジムで教えている姿を、興味はなかったけど見ていたので、知らないうちに、ボクサーの上手い下手を見極める目が育っていたものと思われます。 

 

こうして、暇つぶし程度にボクシングに興味を持ち始めた彼女ですが。

 

高校生の畠山選手が入会してきたことで、俄然、ボクシングへの道に突っ走ることになります!!

 

無口だけど毎日練習に来て打ち込む彼の姿はまさに、

 

不完全な者がもがき苦しんでいる姿。

 

ど素人高校生との出会い

 

真剣にボクシングへ

 

こうして暇つぶし程度だった練習生への対応も、

 

何ができていないかを見極め真剣に取り組むようになり。

 

21時にジムを閉めると、自分がボクシングの教科書になるべくこっそりと練習。

 

帰宅後は試合のビデオを見てボクシングの研究をする、という日々に変わっていきました。

 

素人トレーナー誕生

 

そしてトレーナーライセンスを取得。

 

こうして素人トレーナーと素人高校生によるチャンピオンへの道が始まりました

 

北海道は1年の半分近くが積雪

ロードワーク(走り込み)ができない

 

アカサカさんは

 

新雪ダッシュ=新雪の上を長靴を履いてダッシュする

 

といった練習法を取り入れてこの問題を克服。

 

とんでもない練習量

 

現在は札幌で自身のジムを経営されている畠山さんご本人が、

 

当時、(アカサカさんに言われて)僕がやっていた練習量・内容を今、僕のジムの生徒にやろうとは思わない。やってもついてこれない

 

というほどの激しい練習だったようです。

 

こうして畠山さん、ボクシングを始めて1年でプロライセンスを取得。

 

アウェーでは激弱

 

1999年6月21日、後楽園ホール。

 

畠山選手のデビュー戦。

 

でもアカサカさん、極度の緊張からトイレで吐きまくり、セコンドにつけず客席で観戦。

 

北海道出身ということで客席から心無いヤジが飛ぶ中、

 

見事、4R判定勝ちをおさめます!!

 

無名ジムの悲哀

 

有力なジムは勝てそうな相手、有利な相手と試合を組むよう画策するため、素人トレーナーの無名ジムはどうしても待ちの姿勢になる

「畠山になら勝てる」ということでオファーをしてくる格上相手に勝つしか道はなかった

 

プロ2戦目、アカサカさんセコンドデビュー戦も、わずか2RでTKO勝ち

 

でもこの試合の前もアカサカさんは吐きまくっていたようで。

 

関根:そんなにアウェーに弱いんだ。

 

アカサカさん:一人でご飯も食べに行けないですね。

 

全員:ええー?!

 

アカサカさん:店に入れない。

 

若林:一人で入る店ってアウェーなんだね…。

 

初心者コンビ奇跡の快進撃

 

プロ9戦目まで通算7勝2敗。

 

アカサカさん、全試合前に吐いて多そうです。

 

10試合目

 

日本ライトフライ級2位の選手。

 

相手選手は畠山選手をかませ犬と認識、これに勝ってタイトル挑戦という青写真で組んだ試合なのでした。

 

誰もが相手選手が勝つと予想する中、10R判定勝ちをおさめた畠山さん。

 

一気に日本ライトフライ級2位となります!!

 

このあと、アカサカさんは畠山選手に試合経験を積ませ、2位の嘘にならない実力をつけさせ、機が熟したところでタイトルに挑戦させる予定でした。

 

日本ライトフライ級タイトルマッチのオファー

 

2位の選手との試合を見ていた当時のチャンピオンが、「畠山には勝てる」と思い、直々にオファーしてきたのでした。

 

畠山選手がこれを受け、ついにタイトルマッチが組まれます。

 

ボクシング雑誌すら

 

王者の判定勝ちが濃厚か

 

と書く中。

 

弘中アナ:さあ。では、この、チャンピオンをかけたタイトルマッチの様子!!紙芝居で!!見ていきたいと思います!!

 

若林:紙芝居なんだ…。

 

ここ、めっちゃ笑いました。ナイス弘中!!

 

北海道に初の歓喜を!

 

2002年7月8日 後楽園ホール。

 

王者北野隼VS畠山昌人

 

一進一退の攻防。ラウンドを重ねても両者、一歩も引かない白熱した展開に。

 

幻のダウン

 

最終10ラウンド…。

 

畠山選手のワンツーが王者の顔面をとらえ…!!

 

王者は足元から崩れ落ち!!

 

会場のボルテージも最高潮に!!

 

しかし!!

 

レフェリーの口からは

 

スリップ!!

 

ダウンではなく滑っただけという判定。

 

会場からも

 

ダウンだろ?!ダウンだろ?!

 

とヤジが飛ぶ中も判定は覆らず。

 

そのまま試合は終了。

 

結果は…。

 

10R引き分け。

 

タイトルマッチの場合、引き分けは王者が防衛となるため、畠山選手にとっては事実上の敗北。

 

畠山選手の真摯な姿勢

 

この無情な敗北に、アカサカさんは畠山選手がボクシングをやめるといっても仕方がないと覚悟していましたが。

 

1週間の休みをもらったあと、畠山選手は普通にジムにやってきて練習を再開。

 

しかも1週間の間、寺で座禅を組んでいたという畠山選手の姿に奮起したアカサカさん。

 

アカサカさんの抗議

 

例のスリップ判定の映像をコミッションに提出、いろんなところに電話をしまくり、善後策を練っていると、

 

なんとレフェリー自身が誤審を認め

 

コミッションからチャンピオンに対し、再戦の裁定が下りました!!

 

再戦!!

 

4ヵ月後の因縁の再戦、これはさすがに映像で紹介されていました。

 

試合は両者とも一歩も引かず、激しい打ち合いが続きます!!

 

最終ラウンドも両者、激しい打ち合いをやめず!!

 

そのままゴング!!

 

判定は畠山選手の勝利!!

 

北海道に初の日本チャンピオンが誕生した瞬間でした。

 

凱旋試合も

 

ずっと道外で試合をしていた畠山選手も、

 

2005年6月28日、地元北海道での凱旋試合を行うことができ。

 

この試合に勝った畠山選手、

 

次は世界チャンピオンを狙います!!

 

と宣言。

 

しかし…。

 

“終わりの日”は突然に…。

 

凱旋試合のわずか数日後。

 

網膜剥離が発覚。

 

引退せざるを得ないことになってしまいました…。

 

畠山:今北海道にプロボクシングジムは2つしかないんで。赤坂ジムと切磋琢磨して北海道のボクシング界を強くしてプロボクサーとしては僕を超え流選手を作りたい

 

スタッフ:タイトルマッチで赤坂ジムと畠山ジムの選手が戦うことも?

 

畠山:最高じゃないですか。北海道民として。北海道の選手同士が日本の頂点を争うってことは。それはもう最高だと思います。

 

アカサカ:(そのVを見て)やるからには負けないですけどね。

 

若林:でも吐いてから行くんでしょうけどね。

 

若林のラベリングは…

 

いやあ、感動したな、本当に…。こんなんでいいのかな、感動したのに…。ええっと…。

 

「吐いてから来る人」

 

です。

 

 

でした。

 

素晴らしい物語でした!!

 

小説も読んでみよう!!

 

無敵の二人

無敵の二人