6月30日に行われたサロマ湖100kmウルトラマラソンに応援に行ってまいりました。
以前も申し上げましたが、現在、サロマを走る女性を主人公にした小説を書いています。その取材という意味ももちろんあるのですが、
応援に行く、と約束した人もとても多く。
実は、諸事情で、行かないという選択肢を選ぼうかとも思ったのですが
行かないと一生、後悔するだろう!!
と思い、飛行機に飛び乗りました。
約束
山本さんの場合
2019年2月4日、僕は心房細動の再手術を受けるため八尾市立病院に入院しました。
手術日の朝、この病院で働いてらっしゃる山本さんが、僕の病室を尋ねてくださいました。
彼女はウルトラランナーで、たい焼きウルトラマラニックを走られた際、そこでの僕たち夫婦のフルーツエイドに対する感謝の気持ちを伝えてくださいました。
山本さんは、僕の手術を担当してくださる渡部先生が、この病院でどれだけ信頼されている先生かをじっくりと話してくださり。
心の負担がとても軽くなりました。
彼女は手術が終わった夜も尋ねてくださり、退院する日も来てくださいました。
彼女の今後のラン関連のスケジュールを聞くと、サロマの名前が出て来ました。
サロマ、応援に行く予定です!!
じゃあその時お会いしましょう!!
僕は山本さんとそうお約束しました。
タイガーさんの場合
この記事でもご紹介した、ウルトラ界では超有名人のタイガーさん。
マスクマン初のサロマンブルー、あと3回まで来ていらっしゃいます。
が、ここ数年は体調が優れず、足踏み状態が続かれています。
しかも今年はサロマのエントリーに失敗。もう参加できないな、とおっしゃる彼に対し僕は
ゆずれーるがあります!!マスクマン初のサロマンブルーはタイガーさんだと日本中のファンが期待しています!!
とコメント。
そのせいではないでしょうが、タイガーさんはゆずれーるでサロマ出場権をゲット。
必ず応援行きます!!
と約束しました。
Chamaさんの場合
サロマンブルーでもあり、自ら「完走請負人」のゼッケンをつけ、12時間50分でゴールするペースで走られるChamaさん。
僕はChamaさんとゴールすることが夢でしたが、心臓が悪くなって叶わなくなりました。
Chamaさんご自身も、そろそろサロマからの卒業を口にされるようになり。
彼がサロマを走られる姿を見る機会はもうないのかもしれない。
今年は応援に行きます!!
と約束しました。
約束を履行せよ!!
山本さんの場合
山本さんとご友人の大橋さんはとても調子がいいようで、(と思ったのですが、実は初参加の年はもっと速くにゴールされていたとのことでした)
27km地点、42km地点でお会いしましたが…。
55km地点で駐車に手間取っていると、なんと、応援場所に着いた時にはもう中間レストを出られたあと!!
すごく調子いいんだ!!
と思いました。
その後、68km地点でも余裕の笑顔。でも、
そろそろ疲れてきました
とおっしゃっていました。
ワッカでも、疲れもあったはずなのに、それでも力強い笑顔で応援に応えてくれました。
12時間17分で、大橋さんとともに満面の笑みとともにゴールされていました!!
タイガーさんの場合
タイガーさんはどうしても体調が戻っていなくて。
ヒザと足首に激痛が走る中、なんとか27km地点まで。
来年は必ずリベンジする!!
との固い決意を語ってくれました。
Chamaさんの場合
サロマ直前に発症した肉離れと戦いながらも、42キロ地点までやって来たChamaさん。
18年に渡って走って来られたサロマからの卒業を口にされていますが。
スタート前にお会いした時、
背中の「完走請負人」のゼッケン、今年は付けないんですか?
とお尋ねすると、
付けない。肉離れで自信ないから。でもそれ、いろんな人に言われるよ!!
とおっしゃっていました。
僕と話している間も何人もの人がChamaさんに握手を求めに来ていて、
今年は完走請負されないんですか?
あれ?完走請負人のゼッケンは?
と何人もの人から同じ質問をされていらっしゃいました。
Chamaさん、きっとご自身で思われている以上に、サロマにおけるChamaさんの存在は大きいのだと思われます。
その後、Chamaさんは57キロ地点でリタイアされていました。
肉離れした足で、もっとも勾配のきつい50km地点の坂も、登ったんだ…。
お見それしました。さすが、サロマンブルー!!
いなちゃんの場合
いつも3人娘で走られると思っていたいなちゃんは、実は27kmの地点からすでに遅れていました。
山本さんたちから30分近く遅れてやってきたと思います。
いなちゃーん!!
という僕の声にもあまり反応できず。
ちらりと顔をあげて、力なく笑う程度の反応しかできませんでした。
42キロ地点では…。
名前を呼ぶと、顔を上げてはくれたものの、かなり辛そうで…。
55キロ地点に至っては…。
彼女は完全に下を向き、まるで幽霊のような足取りでやってきました。僕は、声をかけることさえできませんでした。
いなちゃんはたぶん…。もうだめだ。中間レストでリタイアするだろう…。
そう思わずにはいられないほどの消耗具合でした。
ところが…。
68km地点に着き、応援ナビを開くと…。
なんと、いなちゃんを示す点はまだ動き続けています!!
55kmで完全にグロッキー状態だったのに…。まだ進んでるんだ、すごいな…。
と驚きました。
しかしながら、驚いたことはそれだけではなく…。
68kmで会った彼女は、
明らかに顔色が良くなっていて!!
僕を見つけると彼女の方から話しかけてくれて、
私、間に合うかなあ!!こんなに悪いの初めてや、もう間に合わへんかなあ!!
と、質問内容とは裏腹に、とてもハリのある声で訊いてきました!!
55kmで見たときは、いつ倒れてもおかしくない状態だったのに!!
明らかに、生まれ変わっている!!
劇的な変化に、本当に驚きました!!
その段階では、まだギリギリランナーで有名な鈴木さんもきていないので、タイム的には大丈夫なはず。
キロ8で間に合うかな?
と彼女は訊きました。サロマ完走ペースは
50kmまではキロ7、
80kmまではキロ8、
それ以降はキロ9を目安に、
と以前、鈴木さんがおっしゃっていて。
その鈴木さんがまだ来ていないということは…。
キロ8が出せれば、じゅうぶん間に合うよ!!
と僕がいうと、彼女はこの日初めて明るい笑顔を浮かべました!!
“ウルトラは、復活がある”
とよく聞きますが、この時の彼女がまさにそうでした。距離が長くなればそれだけ、消耗が激しくなるはずなのに、
68kmの彼女は55kmの彼女より明らかに元気になっていました!!
ワッカに入り、86kmで会った彼女も、同じように明るい笑顔で、
一緒に写真を撮ってください!!
と彼女の方から言ってくれました。
ワッカは往復の道です。ここからさらに先へ進み、橋で折り返し、戻ってきます。
じゃあ行ってきます、戻ってきたらまた会いましょう…。まだここに居てはります?
と彼女が訊きました。
正直にいうと、前夜、2時間しか寝てなくて、ろくにメシも食わずに朝から動き回って疲れていて。
いなちゃんが86kmを出たら、少しクルマに戻って仮眠を、と思っていました。
でもいなちゃんは、前半より復活したというものの、自分がゴールに間に合うかとても不安がっていて。
彼女が戻るまでここにいよう!!
と、とっさに判断しました。
いてるよ、もちろん!!
よかった、じゃあ、行ってきます!!
彼女はそう行って、折り返し地点へと向かいました。
クルマに戻るはずだった僕は、こういう理由でワッカに残りました。
しかしそのおかげで、きのう書いた記事である、あの親子ランナーとここで再会することができたわけです。
いなちゃんは前半の不調が嘘のように、ここでも堅実に進んでいき、あっという間に戻ってきました。それでも本人は、自分がゴールできるかまだ不安なようでした。
キロ何分で走ったらいい?私は間に合うの?
彼女は必死の形相で聞いてきました。
この時の時間ははっきりと覚えています。
午後4時35分。制限時間の6時まで、残りは85分。
残る距離は8.5km。
キロ10で間に合うよ!!
彼女はニッコリと笑いました。
キロ10なら走れる、そう確信した顔でした。
池田さん、遠いとこまでありがとう
と彼女が言ったので、
なに言ってるの、ゴールまで行くよ!!ゴールで会いましょう!!
そう言って彼女と別れ、僕はワッカネーチャーセンターに停めたクルマまで戻りました。
そしてゴール地点。
彼女は20分以上も時間を残してゴールにやってきました。
42kmで見たときは、完走は「?」かなと思い、
55kmで見たときは、9割以上、完走できないな、と思ったほどに消耗していたのに、
粘って粘って、見事に復活した彼女。
実は5回目のサロマ完走。
きっと過去の経験で、日陰のある場所や補給ができる場所を知っていたので、乗り越えることができたのではないでしょうか。
5回目完走おめでとうございます!!
総括
こうして、あるランナーさんは涙を飲み、
あるランナーさんは死力を尽くしてゴールにたどり着かれました。
2015年と2016年、僕はサロマに挑んで、2年連続ダメでした。
そのときは、
来年またくればいいさ
と軽く考えていました。
でも心臓病になり、ドクターストップがかかり、
もう2度と、ここを走ることはできなくなりました。
その道を、一生懸命に走っている人たちを応援できたことは、とても幸せでした。
もしタイムマシンがあれば、2016年の僕に、
もう2度と走れないんだぞ、あきらめるな!!
と言えたのに。
あのとき、あきらめた地点で、あの頃の僕がいないかを探しました。
お母さんとの約束
斉藤商店のお母さん。
来たら、必ず声をかけて!!
と取材旅行に来たとき、おっしゃってくれていて。
約束どおり、声をかけました。
心臓を悪くして、もう走れないんです。
そうか…。
でも応援してると楽しいですね!!
…。でもあんたの気持ちはどうなのよ?走りたいんじゃなかったの?
この言葉は虚を突かれました。
僕の気持ち、か…。
僕の気持ち…。
まあ、いいじゃないですか。
大会が終わり、ゴールの撤収作業が行われています。
家から1200km離れた約束の地で、
ランナーたちが屋台の食事や飲み物を楽しみ、さよならの音楽が流れる会場を見下ろしながら、
僕はベンチに座って
いつまでも、その様子をながめておりました。