乳癌の検診、もう2年以上行ってないねん。会社の検診より八尾市の検診の方が安いから、そっちに申し込もうと思って、そのまま忘れてて…
2024年5月のある朝。
妻が何気ない口調で僕に言いました。
左の胸がね…。なんか、違和感があるねん
この一言で僕はゾッとしました。女性の身体のことは分らないけど、『胸の違和感』となれば乳癌の可能性がある。
妻は続けました。
なんか…左の胸が張ってるねん。ちょっと熱も帯びてるし。それで気付いてんけど、なんか、しこりがあるねん
胸のしこりって…。
僕の恐れを察知したかのように妻が付け加えました。
乳癌ではないと思う。乳癌の症状をネット検索したけど、全然当てはまらないから。なんか、痛みはないらしいねんけど、今の私にはちょっと張って痛みがあるし
僕は妻が訴える左胸を触ってみました。明らかに右と違う。熱を持ち、張っています。
そ…そう?それなら良いけど、いっかい病院に行こう。診てもらおう
うん、そうする。…大丈夫やで、生理があったときはよくこんな風に張ってたし。
う、うん。そうだろうけど
こんな時、どんな病院に掛かればいいのか。妻がネットで色々調べたところ、
乳腺外科
という診療科があることを知りました。
そして八尾市立病院(僕が2度の心房細動の手術と妻も子宮筋腫の手術をしてもらった病院)、のすぐそばに
みちした乳腺クリニック
という病院があることを知ります。
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妻はそこに予約を入れました。
2024年5月20日
妻と僕はみちした乳腺クリニックへ。
僕と妻の事前のイメージでは、先生が妻の胸を診断し、レントゲンとかエコーとかののち、
ちょっとした乳腺の腫れですね~。お薬1週間分出しときます~
と言った診断結果を想定していました。
しかしみちした乳腺クリニックの院長先生は、妻を奥の診察室に連れて行ったあと、
しこりの一部を取り出し、検査に掛ける
とのこと。
この段階で、僕は気付くべきでした。
乳腺の専門家がしこりを取り出し、検査に掛けるということは、良くないしこりだと思っているのかも…
ということに。
正直言って、僕の胸の中では、妻が胸にしこりがあるといった時点で、ずっとさざ波が立っている状態でした。
でも妻の
乳癌の症状とは違う
という言葉を無理して信じ込み、平静を装っていました。
そして…
2024年5月30日
みちした乳腺クリニックで診断結果が出る日。
その日も僕たち夫婦は、
調べてみましたが、やっぱり問題ないしこりでした~
と先生から言われると楽観視していました。
予約時間に病院に行き。
院長先生は僕たちを診察室に通すと。
開口一番。
悪い細胞だったんです
とおっしゃいました。
この瞬間、
僕と妻の身体がフリーズしたのを覚えています。
道下先生の話を要約すると、
・しこりはいびつな形だったのでそういう点でも矛盾はない
・治療は、悪い部分を手術で取る
・ホルモン療法も効くタイプ
・癌のグレード=増殖のスピードは、やや速いタイプ
だいたい以上の説明を受けました。僕たち夫婦は呆然と聞いていたのですが、
恐らく先生はそんな患者を多く受け持たれているので、辛抱強く、丁寧に説明してくれました。
僕が、
そ…その…あの…ス、ステージとかは…どのくらいなんですか?
と聞きましたが、
簡単な検査をしただけなのでここではそこまで詳しくは分りません。次のステップに進むための病院を紹介したいのですが、このすぐそばの八尾市立病院を紹介しようと思います。
繰り返しになりますが八尾市立病院は、僕の心房細動の手術を2回と、妻の子宮筋腫の手術をやっていただいた病院。
近いというだけでなく、私もお手伝いに行ってますけども、大阪でもトップ10にはいるだけ手術とか治療されてますんで、そういった意味でも安心していただけるかなと思います。
まだ呆然とする僕たちだけど、道下先生は八尾市立病院を紹介してくださり、予約を入れてくれました。
以上が5月30日の木曜日。八尾市立病院の予約は5日後の6月3日の月曜日。
正直に言って。
妻が癌の告知をされたこの日から、大きい病院で詳しく検査をするまでの、この5日間は、
僕の人生で経験したことの無い、
苦悩に苛まれた5日間でした。
病院から帰る道すがら。
僕が車を運転したのですが、
信号のない三叉路で、
僕は呆然として、1分ほど車を動かさず、停車していました。
妻は優しい人ですが、滅多に涙を見せません。
その妻が帰宅と同時に、大粒の涙を流しました。
僕は何の根拠もないまま、
大丈夫やで。大丈夫やから
そう言って妻を抱きしめ、背中を撫でてあげることしかできませんでした。
乳癌は初期ならゼッタイ治る
とか
乳癌の手術はもうポピュラー
ネットにはそんな声もありました。
ただ、ちょうどその時期、
乳癌で亡くなった方の話もネットニュースを駆け巡り。
僕は気が狂いそうでした。
その夜はさすがの妻もアルコールを飲む気分にはならなかったようでした。
食事も、ご飯に生卵をかけたものを、なんと飲み込んだ程度。
翌日は運悪く…
その翌日の5月31日は、運悪く、妻は、電車で2時間の距離にある町の、初めて行くメーカーさんに商談へ行く日でした。
しかも、けっこうな雨降りの日。
ほんの半日前に
あなたは癌です
と告知され、ショックを受けて号泣し、
大好きなビールも飲めぬほど憔悴し、
ご飯もほとんど食べることができず、
夜も眠れなかった妻。
そんな妻が雨の中、2時間も電車を乗り継ぎ、行ったことの無い町まで行く。
僕は不安でたまりませんでした。
万一、ぼんやりして、駅で滑ったり、よろけたりしたら。
ホームから転落でもしたら。
僕は妻について行こうと決めました。
2人で最寄り駅まで雨の中歩きます。
電車に乗り、乗り換え。
ずっと無言の妻の手を握りながら、人ごみの間を縫って進みました。
やがて都心から離れた電車は空いてきて、僕と妻が並んで座れました。
僕は妻の手を握り、2時間、電車に揺られました。
何も言うことなどできません。
ただ、隣に寄り添いました。
アラ還、アラフィフ夫婦が、無言で手を握り合い、押し黙っている様子は、
はたから見ればさぞ、キモい2人だったかもしれません。
目的の駅に着きました。改札に、一緒に商談に行く妻の後輩が待っているはず。
後輩さんは僕の顔を知りません。
僕は妻の後ろを歩き、改札に向かいます。
妻と後輩さんが合流するのを見届けると、
そのまま出て来たばかりの改札をまた通って、
2時間かけて家路につきました。
こうして5日間。
僕も妻も、ほとんど食べるものが喉も通らず。
それでも僕は、必死に口角を上げ、妻に笑顔を見せていました。
暗くなってはいけない
そう思って、一生懸命に妻を笑わせようとしました。
でも妻は、いつも笑ってくれる、池田家の定番のおふざけにも、なかなか笑うことができません。
S子叔母さん
それは我が家だけの話ではありませんでした。
妻にとって叔父さん、叔母さんに当たるT家も、妻の乳癌の話を聞き、涙にくれていました。
詳しい説明は省きますが、このT家の叔父さんと叔母さんは、妻にとって、実の両親と同じ、いやそれ以上に、
幼いころから妻を育ててくれた大恩人。
だからこそ、妻はこのT家にはこの病状を包み隠さず伝えたのでした。
そんな叔父さん、叔母さんなので、我が子同様の妻が乳癌だと聞いて、涙にくれたのでした。
僕は可能な日は毎日、仕事終わりの妻を車で迎えに行きました。
車より電車で帰った方が早いのは分っています。
でも駅でぼんやりしてしまって事故にでも遭ったしまったら。
そう考えると矢も楯もたまらず。
僕は車で妻の職場まで迎えに行きました。
2024年6月3日月曜日
癌告知されてから5日目。
ろくに眠れず、ものも食べれなかった5日が終わり、
ついに、妻の症状を詳しく検査する日が来ました。
この日は、S子叔母さんも、病院に一緒に来てくれることになりました。
妻の大恩人でもあるT家の叔母さんです。
叔母さんが車で僕たちを迎えに来てくださりました。
八尾市立病院まで、叔母さんは裏道を通り、最短のルートで向かいます。
その道は、僕も妻も知らない道でしたが、渋滞にも合わず、スムースに病院に着きました。
血液検査、エコー検査を受けたあと、われわれは乳腺外科の診察室前で待っていました。
美人女医から漲るオーラ
名前を呼ばれたので診察室に入りました。
女医さんが座っておられました。
とても印象的な先生でした。
まだ若く、スレンダーで、けっこうな美人。
しかも自分を美しく見せることに手を抜かないタイプで、
特に印象的だったのが、まつ毛。
美しく大きくウェーブがかかったまつ毛が、先生の大きな目を彩っていました。
足元は裸足で、スリッパを履いていて。
足の爪も丁寧に手入れされているのが良く分かりました。
ただ、それだけではなく。
全身から漲るような、落ち着いた、自信あふれるオーラ。
ただ付けまつ毛に凝ったり、ネイルに凝ったりしてるチャラチャラした女性とは、明らかに違う、
溢れる自信が漲るオーラ。
他人の命を救うことを生業としている者にしかない、
圧倒的で、強烈なオーラ。
一目で只者ではないと感じさせる女性でした。
話し始めた先生の口調は、
とても落ち着いていて。
口調も、われわれ患者側が聞き取りやすいよう、
意識して、一言一言、はっきりと、
活舌良く、話しているのが、ハッキリと分かる話し方。
妻も、S子叔母さんも、僕も。
この先生なら大丈夫だ
と、出会って一瞬で感じさせてくれる先生でした。
エコー結果を見た先生は、
・乳癌のメカニズム(乳管という管を破って出てくる、etc.)
・妻の癌の大きさは2センチを超えていること
・癌のタイプによって、即手術か、まず全身療法をしてその後で手術か、に分かれる
・きょう取った検体で妻の癌がどのタイプか調べる
そういった内容でした。
大体の話が終わって。
妻が先生に聞きました。
先生、私の癌は、早期だと思っていいですか
と。
先生は、
そうですね。ムチャクチャ早期か、というとそこまでじゃないですけど、うん。早期といっていいです。
そう言ったあと、こう付け加えました。
よく、ご自分で、この段階で見つけましたね。えらいです。
この言葉を聞いたとき、この5日間、僕と妻を縛り続けてきた呪いの鎖が、
ガチャガチャと音を立てて、外れはしないけど、
少しだけ、弛んだ気がしました。
たぶん僕は、涙を流していたと思います。
この5日間、ゼッタイに妻の前で泣いてはダメだと自分を律していましたが、
女医先生のこの言葉に、
涙を流していたと思います。
診察室から出ようとしたとき。
あの、ちょっと
女医先生が僕たち3人を呼び止めました。
Y子先生のお知り合いなんですね。きのう、電話をもらっています。よろしくお伝えください
見えない運命の糸
T家のS子叔母さんを中心に、
妻の一族には、とてもたくさんの親戚がいます。
その中に1人、Y子さんと言って、妻の「また従妹」に当たる女性がいます。
僕は一度だけ、このY子さんのお父さんに、結婚前に挨拶に行ったことがありますが、
Y子さんご本人には、会えませんでした。
確かこの頃、Y子さんは医学部を卒業し、外科医になったばかりで、とても忙しい日々を送っている、という話だけは聞いていました。
Y子さんは妻の一族の中でも、たった1人の、職業・外科医。
実は遡ること3日前。
S子叔母さんは僕たちに、こんな話をしてくれました。
Y子ちゃん覚えてる?外科医の。あの子の専門は肺で、乳腺ではないねんけど。あの子、5年ほど、八尾市立病院で働いててん
へえ!そうなんですか
何年か前、道でバッタリY子ちゃんに会って。そのとき、
『なにか困ったことがあったら、どんなことでも相談してくださいね』
って言ってくれて。だから電話したの。麗子の病気のこと、みちした乳腺外科から八尾市立病院を紹介されたこと
そうなんですか
それで聞いたの。
『八尾市立病院で乳癌の手術を受けるべきか』
って。そしたらY子ちゃん、こう答えてた。
『私が今いる病院より、八尾市立病院の方が、よっぽど患者さんに寄り添った治療・手術をしてる。乳癌手術実績も大阪で4番目に多い。八尾市立病院で受けるべき』って
そうですか。勤務経験があるY子医師がそういうなら間違いないですね
あと、こんなことも言ってた。
『麗子さんが最初に診察を受けた、みちした乳腺クリニックの、道下先生。私が八尾市立病院に勤務していたころ、道下先生にいろいろ教えてもらった。とても優秀で、とても素晴らしい先生』
最後にはこうも言ってた。
『もし、私が乳癌になったら、まず道下先生に相談する』って
へえ…
妻は一番最初にみちした乳腺外科で診てもらって、乳癌であることが発覚しました。道下先生はとても優秀な先生だったので、
もしかしたら、妻の病状を誰よりも早く見抜いてくれたのかもしれない。
そしてY子医師は、すでにほかの病院で働いているにもかかわらず、勤務時代から知っている女医先生に、麗子をよろしくお願いします、と電話をしてくれていたのです。
もちろんその電話で女医先生の治療がよりよくなるとか、そんなことはないとは思います。
ただ、不安しかない僕たち患者側としては、ほんの少しでも、心が休まる話しでした。
先生の治療が終わり、支払いを待ってるとき。
妻がぽつんとこんなことを言いました。
なんか、運命みたいなんを感じる
運命?
乳癌になっちゃったこと。最初に、道下先生の病院に行ったこと。女医先生に診てもらったこと。親戚のY子ちゃんが、それらの全ての人を知っていて、電話までしてくれてたこと
…そういえばぜんぶ繋がってるね
帰路
もちろん、だからといって、妻の身体が大丈夫なわけではなく。
この段階では、
・先に手術をするのか
・術前に化学療法をして、それから手術するのか
妻の癌のタイプをさらに調べて結論を出さねばなりません。
素人考えでは一刻も早く手術をして取り除いて、転移などが起こらないようしてほしいのですが、
そう簡単な話ではないようです。
数日後にまた検査のため来院する予約を入れ、
妻、僕、S子叔母さんは、叔母さん運転の車で帰路につきました。
お腹すいたね、白扇でご飯食べよっか
叔母さんが言いました。
この5日間。ろくに食べ物が喉を通らなかった妻と僕。
でも今は、とてもお腹が空いていることに気付きました。
白扇とは、妻が子供のころから通っているうどん屋さん。
カレーうどんが絶品です。
僕も妻も、カレーうどんを頼みました。
この時食べたカレーうどんの味を、僕は一生、忘れないでしょう。
今まで何度も食べたことのある、白扇のカレーうどん。
癌の呪いの鉄鎖が少し弛んだ今、
本当に久しぶりに、人間に戻って、ものを食べた気分になりました。
本当に、本当に、美味しいと思ったカレーうどんでした。
1回で書き切るつもりでしたが、長くなったのでここで区切ります。
冒頭に書いたのは、乳癌であることが分かった時に妻が漏らした言葉です。
この言葉は、僕の胸を切り裂きました。
女性の皆さんへ。
女性の身体のことは男の自分には、なかなか良く分からないことがあります。
ただ、これを読んで、もし、乳癌検診や子宮癌検診など、
本来、行っておくべき健診から、遠ざかっている方。
~の方が安いから、その健診を受ければいい
なんて、わずか数千円~数万円のお金と、自分の命を、天秤に掛けちゃだめです。
あなたの命は、何億、何兆円あっても買うことはできない。
何らかの理由を付けて、健診から遠ざかっているのなら、どうか、
うちの妻が経験した、
明日死ぬかもしれない
という、この恐怖の数日のことを、頭の中で思い描いてみてください。
検診とか人間ドックなどから遠ざかっているなら、
可能な限り早く、それを受診してください。
今回のことで、身に染みて分かったことがあります。
命とは、有限です。
明日やろう
とか
今度やろう
とか。
その明日や今度は、もしかすると、
訪れてくれない可能性だってあるんです。
だから人間ドックや検診などで、可能な限り、あなたの体に異常がないかを確認しながら、
あなたがやりたいと思っていることは、
できるだけ、元気なうちに、やっておきましょう。
僕みたいに何の影響力もない人間に言われても、刺さらないかもしれません。
でも、
命は、有限です。
ある日、とつぜん、
あなたは癌です
と言われた妻の気持ちを、
心の中で、想像してみてください。
現代医療は素晴らしく、
乳癌は発見が早ければ、命にかかわる病気ではありません。
でもやはり、
「癌」
という言葉の持つ絶対的な恐怖。
あなたは癌です
と言われ、平気でいられる人間など、絶対にいないはず。
もし自分が癌告知をされたら
それを考えて、
ぜひ検診や人間ドックに行ってください。
僕の駄文を読んで、
一人でも多くの方が検診に行かれることを願っています。