2024年12月12日 13時54分
奈良マラソン34.4㎞関門が閉じます。
関門が閉じる1分前から、僕はその場所にいました。
数人のランナーさんが、閉鎖ギリギリの関門に向かって、
最後の力を振り絞り、駆け込んできます。
そして閉鎖した瞬間に、その場にたどり着いたおじさんランナーがいました。
練習不足のおじさんランナー
アウトかセーフか微妙なところでしたが、
関門の係員さんは、彼をセーフと見なし、
彼は無事、走路へと戻ってきました。
ただそのおじさんランナーは、
両足が、ボロボロ状態。
両足が、まるで壊れたコンパスみたいに左右に広がって、
痛い…痛い…
と呻きながら、関門すぐの場所にある電信柱に寄り掛かっています。
大丈夫ですか?!ギリギリでしたね!!あんなギリギリの通過、見たことなかったです!!
と僕は言いましたが、これは彼を勇気づけるためのウソ。
もう何十回も、関門閉鎖前で応援してきた僕は、閉鎖ギリギリで通過するランナーなど、何回となく見てきています。
でも関門通過後、足の痛みに悶絶しているランナーのテンションを、少しでも上げるためには、
こういった言葉が有効かなと思いました。
でもそのおじさんランナーは、関門を通過するために全エネルギーを使ってしまったらしく、
僕の声掛けにも無反応で、ただ、
痛い…痛い…
と呻いていました。
両足は広がったまま、ビクビクと痙攣していて。
4km先にある次の関門にたどり着けるとは、とても思えない状況。
おじさんはランニング用タイツを履き、短パンを履いています。
その足は、おじさんにしてはスラリと伸びて、ほっそりして。
悪く言えば、訓練されたマラソンの足ではありませんでした。
多分このおじさんも、おじさんなりの練習は積んできたのだと思います。
そうでないと、この奈良マラソン、
平らな場所が1メートルもない、延々とアップダウンが続く、この地獄のようなマラソンロードを、
34kmも走ってこれるわけがない。
でもこの足の筋肉の付き具合は、明らかに、
奈良マラソンを完走するには、練習が不足している脚でした。
でももちろん、ここでそのおじさんに、そんなことを言っても何にもなりません。
おじさん、大丈夫か??まだ行けるか??
僕の問いにおじさんが弱弱しく答えます。
な…。なんとか。なんとか…
寄り掛かっていた電信柱から手を離すも、痙攣が止まらぬ両足は、自分の身体を支えることができない。
僕はおじさんに肩を貸し、数歩、歩きました。
いやあ、ほんまにすごかった。あんなギリギリ、見たことないよ!!
もういちどおじさんを励ます言葉を投げます。
おじさんのお守り
と、そのとき。
おじさんの腰に下がっているキーホルダーに目が留まりました。
涙がボロボロと溢れてきて。
僕がそれを見ていることに気付いたおじさんランナーが、
子どもが…。ゴールで待ってますねん
と言いました。
…僕がやってたエイドが、300メートル向こうにあって。足を冷やすスプレーがある。それを取ってきてあげるから!!
と僕は言って、小走りで走り、
お方さまが後片付けを始めているエイドに向かいます。
まだ残っているコールドスプレーを手に取ると、
おじさんランナーがいた場所に戻るため振り返ります。
おじさんランナーは足を引きずりながら、必死の形相で、
僕のあとをついてきていました。
とりあえずこれで!!炎症起こしている筋肉を冷やそう!!
僕はたっぷり1本分のコールドスプレーを使って、
おじさんの両足を冷やしました。
でも、たとえこのスプレー10本で冷やしたとしても、
このおじさんランナーがゴールできないだろうことは明らかでした。
でもおじさんは、
子どもが待ってますねん、こうなったら、絶対にゴールしますわ!!ありがとう!!
そういって僕のエイドを出ようとします。
「来年がある」って素晴らしい
僕はおじさんに言いました。
がんばってや!!
と。
そして最後にこう付け加えました。
でも、もし、アカンかったとしても。マラソン、完走できなかったとしても。
命が尽きるわけじゃない。
深刻なことじゃない。
お子さんたちには、
「今年はアカンかったなぁ」
と言って。
「来年、また頑張るわ」
って言えばいいから。
奈良マラソンはまた来年もあるから。
命、とられるわけじゃない。また来年がんばればいいから!!
遠ざかるおじさんに僕の声が届いたかは分からないけど。
僕は、愛する妻が癌の宣告をされた時のことを思い出して、
そう叫ばずにはいられなかった。
命さえあれば、またやり直せばいい。
「来年がある」という言葉は、
来年まで生きることができる人間が口にできる言葉で、
それは実は、とても恵まれた言葉だ。
今年がダメでも、
来年がある。
お方さまの手術は成功し、
来年もまた、奈良の応援に来ることができる。
来年もあるって、なんて幸せで、なんて素晴らしいことなんだろう。
僕はおじさんのゼッケンナンバーを控えていました。
おじさんは35㎞関門の通過後、残念ながら、次の更新はありませんでした。
あのお守りをくれたお子さんにとって、
そしておじさんにとって、
少し苦い結果になったかもしれません。
でも、来年があります。
どうかまた来年、
あの坂の上で会えるよう、
そして来年こそは、練習をもっと積んで、
完走できるよう、
心からお祈りしています!!