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「ローガン」感想ネタバレなし!!!スーパーヒーローたちの「終活」。ヒュー・ジャックマン、魂の熱演に涙!!ウルヴァリンとプロフェッサーXは、みじめな姿をさらしながらも、最後まで誇りを忘れない

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これは、南北戦争の頃から生きているはずなので、200歳近いはずのウルヴァリンが、少女ローラとの旅で少しずつ成長していくロードムービーです。

 

ウルヴァリンと、プロフェッサーXは、いつも人類を救っていましたが、今回は、たった一人の少女すら、満足に救えないほど、老いてしまいました。

 

そして、ついぞ経験してこなかった、父、祖父、娘という、家族の温もり、というものを、この少女から逆に教えられる旅に出ることになります。

 

CGで破壊される町、特異なコスチュームで飛び回るヒーローたち、などを期待して映画館に行けば、大失敗することになります。そんな場面は皆無です。

 

代わりに展開されるのは、ボロ衣装が砂ぼこりにまみれた老人たちが、人生最後の仕事を完遂するため奔走する、切なくも誇り高いロードムービーです。

  

「ローガン」と「わが良き狼(ウルフ)」

 

筒井康隆先生の傑作短編SFに、「わが良き狼(ウルフ)」という作品があります。僕は「ローガン」を見ながら、この「わが良き狼(ウルフ)」が思い出されて仕方ありませんでした。

 

かつて、宇宙を荒らしまくった悪党「ウルフ」は、いつも正義の味方「キッド」の活躍にしてやられていた。久しぶりに故郷に戻ったキッドが見たウルフの姿とは…

 

英雄伝は常に現在進行形の物語です。物語の最後は、「英雄とお姫様は、いつまでも幸せに暮らしました」の決まり文句で終わります。

 

でも本当に、いつまでも幸せに暮らし続けることなどできようはずもありません。

 

「わが良き狼(ウルフ)」は、英雄伝の20年後、という、筒井先生らしい視点から見た「もう一つの英雄伝」ともいうべき傑作SFです。

 

 

そしてこの「ローガン」も、地球を救い終わったウルヴァリンとプロフェッサーの終活の物語という、X-メンシリーズとは思えない、地味な作品です。

 

 

STORY(公式HPより)

 

すでにミュータントの大半が死滅した2029年。長年の激闘で心身ともに疲弊したローガン(ヒュー・ジャックマン)は、もはや不死身の存在ではなかった。超人的な治癒能力が衰え、生きる目的さえ失った彼は、雇われのリムジン運転手として日銭を稼ぎ、メキシコ国境近くの荒野にたたずむ廃工場でひっそりと暮らしている。その廃工場には衰弱しきってスーパーパワーをコントロールできなくなったチャールズ・エグゼビア(パトリック・スチュアート)と、太陽光の下では生きられないミュータントのキャリバン(スティーブン・マーチャント)もいた。

そんなある日、ローガンはヒスパニック系の看護師ガブリエラ(エリザベス・ロドリゲス)から思い掛け無い頼みごとを持ちかけられる。ローラ(ダフネ・キーン)という謎めいた少女を、カナダに国境を接するノースダコタまで送り届けてほしいというのだ。しかし、それは新たな災いの始まりだった。図らずもローラを保護することになったローガンは、子供たちを利用しておぞましい実験を行っているトランシジェン研究所が放った冷酷非情な男、ピアース(ボイド・ホルブルック)が率いる武装集団の襲撃を受ける。ピアースの目的は、ガブリエラによって研究施設から連れ出されたローラを奪い返すことだった。

辛くもピアース一味の包囲網を突破し、廃工場から逃走したローガン、ローラ、チャールズは、ノースダコタを目指して車での旅を繰り広げていく。あどけない外観からは想像もつかない戦闘能力を持ち、ローガンにそっくりの特徴を備えたローラは、果たして彼との間にどのようなつながりがあるのか。やがて研究所の責任者である邪悪な遺伝子学者ドクター・ライス(リチャード・E・グラント)が差し向けた最強の敵が迫る中、ローガンはミュータントの最後の希望が託されたローラを守るため、命懸けの戦いに身を投じていくのだった…

 

「ローガン」=ロードムービー

 

事前の広告戦略からみても、本作を、よくあるコミックの実写化だと思って観に行く人はあまりいないでしょう。これまでの「X-メン」のシリーズのように、時間や空間を自由自在に飛び回り、青い肌、長い舌、巨大な眼球、といった様々なコニック的なキャラクターが、最新CGで縦横無尽に破壊の限りをつくす、最近のアメコミ映画的ダイナミックなムチャクチャ映画、とはまったく違う映画です。

 

あえてジャンル分けするとしたら、ロードムービーでしょうか。

 

老いさらばえたスーパーヒーロー

 

もう一人の主人公、少女ローラは、物語が始まって40分くらいまで登場しません。まずはウルヴァリンとプロフェッサーの、老いさらばえた惨めな暮らしぶりが粛々と描れていきます。

 

かつては高級スーツに身を包み、宙を滑るような車椅子で、何度も世界を破滅から救ったはずのプロフェッサーは、ウルヴァリンの助けがないとおしっこもできないボケ老人になっています。不老不死だったはずのウルヴァリンも、トレードマークだったヒゲも伸び散らかし、酒に溺れ、無敵の爪さえ満足に伸びなくなっています。

 

かつてはスーパーマンだった彼らにもやってきた終活。船を買って、そこで暮らす夢だけをよすがに、老いた体に鞭打って日々を過ごす彼らの姿はあまりに切なく、救いがなく、見るものの心を締め付けます。

 

ローラ≒ウルヴァリン

 

そんな彼らの前に現れた少女ローラは、ウルヴァリンと同じ爪を持ち、ウルヴァリンと同じ殺し方で追っ手を次々になぎ倒します。小さな少女一人に、圧倒的大多数で迫る追撃者たち。図らずも、プロフェッサーの頼みを聞き入れ、ウルヴァリンは少女を助けて旅に出ることになります。

 

もはや理解できなかったX-メン

 

X-メンのシリーズは、正直に言うとあまり好きではありませんでした。アメコミ映画、というジャンルそのものに、どこか違和感を感じざるをえません。その中でも特にX-メンは、コミック的な登場人物が多すぎて、感情移入して見入ることができない作品でした。

 

そして回を追うごとに、破壊の程度はスケールを増し、登場人物たちが老朽化してくると過去の物語になってパトリック・スチュアートはジェームズ・マガヴォイになって若返り、でもウルヴァリンはヒュー・ジャックマンのまま、といういいのか悪いのかわからない展開に戸惑い、X-メンはもはや僕には理解できない映画になってしまいました。

 

常に真摯なヒュー・ジャックマン

 

でもヒュー・ジャックマンの、映画に取り組む姿勢には、リスペクトの目を向けていました。善人も、悪人も、時にはコミカルな役も演じながら、常に自分の原点ともいうべきウルヴァリン役への愛情を忘れていない彼の姿勢。

 

有名になると、イメージの固定を恐れ、若い頃に演じた役を否定するような発言さえするスターが多い中、彼はいつもウルヴァリンを中心に据えていたように思います。「ナイト・ミュージアム3」に本人役で出演した時も、

 

「ほら!知らないの?ウルヴァリン役で有名な!」

 

って言われて、

 

「ウォーッ!」

 

っておどけて爪を出す真似をするシーンがありました。もうスターなのに無茶ぶりに応えるサマが、彼の人柄を表しているようでした。

 

彼はまだ48歳とのことなので、まだまだ若いウルヴァリンを演じようと思えばできたはずです。でも、永遠の命があるはずのウルヴァリンも、本作では、人間でいえば推定年齢60歳過ぎ、「初老」をとうに通り越し、ずっと咳にむせながら、左足を引きずり歩く、惨めなアル中男を熱演しています。

 

あのカッコよかったウルヴァリンを、よくぞここまで…と絶句してしまうほどの、老醜ぶり。

 

また、華麗なるプロフェッサーXだったはずのパトリック・スチュアートも負けじと老醜ぶりをさらしています。人は、着るものでここまで変わるのか、と思うほど、ボロボロのシャツとズボンを着たプロフェッサーの変貌ぶり、意味不明な言葉を叫び車椅子で徘徊するプロフェッサーの姿など、見たくはなかった…

 

そして彼らの前に現れる「最強の敵」も、過去からやってきて世界名所を破壊するようなミュータントではありません。この敵もまた、本作に重厚な厚みを持たせるような意味合いを持つ敵です。

 

CGで街が破壊されたり、新幹線の屋根の上での殺陣シーンなどといったアクションシーンはありませんので、そんな場面を期待してはいけません。

 

南北戦争の頃から生きているはずなので、200歳近いはずのウルヴァリンが、少女ローラとの旅で少しずつ成長していくロードムービーです。

 

そしてラストシーンで、

 

まさかウルヴァリンの映画で

 

自分が泣くとは思わなかった。

 

でもラストシーンで僕は泣きました。

 

ウルヴァリンと、プロフェッサーは、いつも人類を救っていましたが、今回は、たった一人の少女すら、満足に救えないほど、老いてしまいました。

 

それでも、最後まで、誇り高く生きようとするその姿は強いメッセージを見る者に送ります。

 

17年間、スターになってもウルヴァリンを演じ続けたヒュー・ジャックマンだからこそ、この「ウルヴァリン最終回」は感動深い作品になりました。