冬
20XX年、冬。
A合衆国のT大統領は、ある日とつぜん、
「私は本日より、永世大統領になり、合衆国の全ての権限を掌握した」
と、全世界に向けてコメントを発表した。
「これにより、憲法は停止し、国家運営の全てを私が決める」
そもそも彼はその抜群の商才により、若くして億万長者であったが、その自信に裏打ちされた傲慢な性格による暴言や奇行がしばしば世間を騒がせる人物でもあった。
そのため、彼が大統領選挙に立候補した際も、誰も本気とは思わなかった。何かのテレビ番組の宣伝ではないか、となどと訝ったものだった。
やがて党の最終候補になった時も、対立候補は政治家として修羅場を何度もくぐってきた人物。T氏に勝ち目はない、と誰もが思っていたにも関わらず…。
まるで見えざる神の手で動かされたかのような、まさかの勝利。
こうして史上もっとも予測不可能な大統領が誕生したのだった。
その、常に精神状態が不安視されている彼の、いきなりの独裁宣言に世界は慌てた。
しかし実は、綿密に計算され尽くした行動だったのだ。長い時間をかけて裏で軍部を完全に掌握し、周りは彼のイエスマンばかりを固め…。
ここに、T大統領の独裁国家・A合衆国が誕生したのだった。
そしてその日のうちに、T大統領が発令した大統領令にこそ、国民は驚いた。
大統領の独裁宣言よりも、その新しい法律の方が、国民の度肝を抜いた。
その法律とは、
「エアコン禁止令」であった。
『国中全てのエアコンを禁止する。全ての本体と室外機、カーエアコンなどを取り外し、12月31日までに各自治体の指定された場所まで持ってくること』
政府のホームページにはそう書かれていた。そして最後に、
『従わなかった者は、3日間の拘留の後、死刑と処す』
と小さく書かれていた。
T大統領のサインが入った、この死刑宣告に、国民は驚愕し、恐怖した。そして理解した。
ついに、ヤツは狂ったのだ、と。
大統領はこの件について一切の例外を認めなかった。
特に医療機関などから激しい抵抗があった。冬はストーブがあるからまだいいが、真夏にクーラーがなければ、弱っている病人は死んでしまう、というのが彼らの主張であった。
しかし政府は、
『医療機関には、やがて高騰が予想される氷を無料で提供する』
とだけ宣言し、このクレームを認めない姿勢を貫いた。
この政府の毅然たる態度と、あの狂った大統領による死刑宣告が功を奏し…。
国民はこぞって自宅のエアコンを取り外し、所定の場所へと持ち込んだ。
中には、2台あるのにこっそり1台だけ取り外し、素知らぬ顔を決め込もうとする輩もいたが…。
国家は全てを把握しており、
「お前の家は2台のエアコンがあるはずだ。残りあと1台を12月31日までに持ってこなければ死刑な」
と、係官から冷たく言い放たれると、たいていの国民は恐怖に震え、その日のうちにもう1台も持ってくるのだった。
この発令は冬に出たので、国民は比較的従順に従った。ストーブや電気毛布などは禁止されていなかったからだ。
しかし来たるべき夏のことを考えると、誰もが一様に不安になった。あの暑い夏を、クーラーなしに乗り切ることができるのか…。
しかしながら、これをビジネスチャンスと見る者たちもいた。
誰もが製氷業への鞍替えを目論んだが…。
政府は先手を打ち、製氷業の国家資格を制定した。
そしてその国家資格の取得は困難を極めるもので、事実上、新規参入は不可能な状況となった。
ただし、エアコン会社にだけは、この製氷業の免許を無償で与えて、エアコン会社の倒産を防いだのだった。
エアコン・レジスタンス
中にはこの発令に対し、異議を唱える者もいた。
個人で戦う者もいれば、集団となって反旗を翻す者たちもいた。
特に、セレブ御用達で有名なN百貨店のCEOのN氏は、
「今後も我々の店では、お客様には快適で優雅なショッピング体験をお約束します」
と標榜し、店舗からのエアコンの引き上げは一切、行わなかった。
N氏がリーダーとなったこの“エアコン・レジスタンス”たちは、政府からの再三のエアコン取り外し要求を無視し続けた。
こうして年が明けた1月1日。
A国全土のエアコン・レジスタンスたちは一斉に逮捕された。その数は数万人にも及んだ。
彼らは1万人ごとのグループに分けられ、全国に数カ所ある屋根付きの野球場へと収監された。
彼らは牢獄のような場所ではなく、広いドーム型野球場で3日間、拘束されたのだった。
そこでは、垣根や檻などは一切なく、彼らは誰とでも話し合う機会を得ることができた。
N氏はこの3日の間、事あるごとにピッチャーマウンドに立ち、このエアコン禁止令がどれほど馬鹿げた政策であるか、を“エアコン・レジスタンス”たちに訴えた。
犯罪者として収監されながらも、レジスタンスたちはN氏の主張に拳を振り上げて同意した。
レジスタンスたちは一様に、エアコンの涼しい風の下、生活することがA国の国民の権利であることを強く主張した。
そしてその模様は、なぜか全ての球場の巨大ビジョンに中継され、各地で収監されているレジスタンスたちはそのビジョンを見ることで、一致団結をより一層深めたのだった。
そして3日の拘留期限が過ぎた。
驚いたことに、囚人たちは外へと通じる出口へと並ばされた。
誰もが、死刑など「こけおどし」だったのだ、と理解し、勝利の笑顔を浮かべながら、その列に並んだ。
N氏は傲慢な口調で、
「私は時間がないんだ。もっと前に並ばせろ」
と係官に強く命じた。その結果、N氏は列の2番目へと繰り上げられた。
1番目に並んでいたのは、ヒゲを多く蓄えた人物だった。彼に、係官が言った。
「拘留期限の3日が過ぎた。さて、お前は自宅に帰り、エアコンの取り外しに同意するか?」
ヒゲの男はせせら笑いながら、N氏と目配せし、N氏の昨夜の演説を引用した。
「涼しい風に当たることがA国民の権利だ」
「つまり、エアコンの取り外しは?イエスかノーか?」
「ノーだ。断固拒否する」
「そうか」
と言い終わるや、係官は腰から銃を抜き、ヒゲ男の顔面にマグナム弾をブチ込んだ。
ヒゲ男は下顎だけ残し、顔面が吹っ飛んだ。
大量の脳漿と血液が周囲に飛び散った。
ヒゲ男の右目は、すぐ横に控えていたN氏の左肩へと吹き飛び、眼球にこびりついていた粘液でN氏の左肩にへばりついた。黒目が、まるでN氏を見つめるような角度で。
その模様も、全ての球場の巨大ビジョンに生中継されていた。
それまでは威勢のいい声でざわついていた全てのドーム球場が、一瞬にして静寂に包まれた。
薄ら笑いを浮かべていたN氏の顔面は瞬時に蒼白となり、次の瞬間、N氏は激しく嘔吐した。
嘔吐の発作が治らないN氏を、係官は力ずくで列の先頭へと持って言った。
「これはNさん。常日頃の貴重なご発言、拝聴していますぜ」
係官は皮肉たっぷりに言った。
吐瀉物とよだれが入り混じったものを、だらだらと口と鼻から垂らしながらN氏は恐怖の表情で係官を見上げた。
「さて。拘留期限の3日が過ぎた。お前はあのビバリーヒルズの自宅にある10台のエアコンを全て外し、またお前が経営する百貨店にある全てのエアコンを取り外すことに同意するか?」
肩にヒゲ男の右目をへばりつかせたまま、N氏は急にもみ手をはじめ、最大限に媚びを売る表情に変って、大声で叫んだ。
「も、もちろんでさあ!!今すぐ、家に飛んで帰って、取り外してきやす!!あと、百貨店のエアコンも全部、外しやす!!お安い御用でさあ!!」
こうして数万人ものレジスタンスたちは、わずか1名の死者を出しただけで、全員がエアコンの取り外しに同意したのだった。
こうして、A国全土からエアコンが消えた。
夏
そして、夏がやってきた。
『段階を踏んで』、などと言った中途半端なものではなく、A国全土から一斉にエアコンがなくなったので…。
室外機による温風が完全にゼロになった。
また、エアコン以外でも、問題はあった。
政府は新規のアスファルト舗装は禁止したものの、従来のアスファルトまでは規制しなかったが…。
国民の中には、率先してアスファルトを剥がし、照り返しによる温度上昇を抑えようとする動きも活発になっていた。
医療機関では、低層階に患者を集め、また無料で支給される大量の氷に扇風機の風を当て、室温の上昇を防いだ。
氷の需要は予想をはるかに上回り、元・エアコン工場はエアコンを作っていた時代の数倍もの売り上げを記録した。
製氷時に大量の熱を発しては元も子もない。エアコン会社はなるべく発熱しない製氷機の開発に力を入れた。
そして、溶けにくい氷の製造に尽力し、A国は氷により室温を低下させた。
もちろん熱中症による死者は出たが、意外にもそれは、エアコンを稼働させていた時代の死者数とさほど変わらない数であった。
A国の全てのエアコンが消えた最初の夏、平均気温は従来よりも4度も下回った。
こうなると、国民はどうすればもっと地表の温度を下げることができるか、という考えに躍起になっていき…。
ガソリン車は廃れ、電気自動車の開発が急ピッチで進んで行った。
地面からはアスファルトが剥がされ、2020年の東京オリンピック時に使用された、地表の温度を上げない素材での舗装が進んだ。
また、土そのものを固めても充分生活は可能だ、という考え方が進む地方も現れた。
密造エアコン
エアコン禁止令が発布された2年目の夏。
禁酒法時代の密造酒のように、元・エアコン技師たちの手により秘密裏に作られた「密造エアコン」により、クーラーの効いた部屋で社交を楽しむ「密造エアコンパーティ」なるものが、静かなブームとなっていった。
このパーティを主催していたのは、あのN氏であった。
N百貨店の外商部には、セレブ顧客たちの名が連なっており、セレブたちは庶民とは一線を画す生活やイベントを好んだ。
N氏は家電売り場と取引のある業者たちとコンタクトを取り、極秘裏に巨大な業務用エアコンを組み立てさせた。
それを、N百貨店グループの中で最も暑いZ州にある支店の、地下売り場に設置した。
そして真夏の深夜、極秘裏にセレブ顧客たちを集め、クーラーの設定温度を、コートを着ないと寒いくらいの20度に設定した。
暑い外気から、クーラーの効いたこの地下売り場に入った時、セレブたちは一様に歓喜の声をあげた。
パーティは大成功であった。
セレブたちは、クーラーの冷えた風を浴びながら、とんでもない価格の宝石やバッグ、絨毯などを買いまくった。
N氏の読みは大当たりだった。夏の間、何度も開催されたこのパーティで、N百貨店の売り上げは過去最高を記録した。
同様のパーティは、エアコン禁止令が発布された3年目の夏にも開かれ、同じく大成功を収めた。
一方、市民たちは、エアコン禁止令により地表の温度が徐々に下がっていき、また、自分たちの生活の工夫によりその現象に拍車がかかっていく様子に、確実な手応えを感じていた。
にも関わらず、風の噂で聞こえてくる「密造エアコン」の話は、市民たちを激怒させた。
4年目の夏の深夜、「密造エアコンパーティ」会場は、激怒した市民たちにより急襲された。
真夏に、コートを着て、ワインを燻らせながら買い物をしていたセレブたち全員が、市民たちにより拿捕された。
その中にはもちろん、主催者であるN氏も含まれていた。
市民たちは捕まえたセレブたちを、コートを着せたまま縄でぐるぐる巻きにして縛り上げ。
真夏の、50度を超えるZ州の砂漠の真ん中に放置した。
コートを着たまま砂漠に投げ出されたセレブたちは、数時間もしないうちに熱中症で命を落とした。
干からびたN氏の右目を、マズそうにハゲタカがクチバシでついばみ、東の空へと消えていった。
10年目
こうして、エアコン禁止令が発布されてから10年。
A国の気温はそれまでより10度以上、低下した。
木々の緑はそれまで以上に色艶やかに輝き。
都会の真ん中でも、まるで森林浴でもしているかのように上質の空気を吸うことができた。
絶滅したと思われていた動物たちも息を吹き返し。
人間の平均寿命にさえ、影響を及ぼすほどになってきた。
人間が手を加えなければ、地球とはなんと住みやすい惑星なんだ、という意識が全国民へと広がっていった。
こうして全土で「自然に帰ろう」という動きがますます活発化していくことになり、人々はなるべく自動車を使わず、徒歩や自転車を多く使う生活へとシフトしていった。
世界へ
この結果に気を良くしたT大統領は、世界各国にエアコン禁止を促進するよう要望。
また、各国もこれに習った。
日本政府は、八方美人な言葉で
「エアコンをやめたければやめればいいし、やめなくても別にいい」
と当たり障りのない表現に終始し、世界中の笑い者となった。
並行世界 パラレルワールド
さて、私の話はここで終わりなのだが。
少しだけ、パラレルワールドに目を向けてみよう。
時空は無限に枝分かれしているため、無限に世界は存在している。
A合衆国そのものが存在しない宇宙もある。
T氏が大統領に就任しなかった時空も存在する。
T氏は大統領になるが、任期を満了して終える、という世界も存在する。
T氏が永世大統領になるべく策を弄するものの、途中で抵抗勢力による妨害に遭い失敗する、という平行世界もある。
T氏が独裁政権を握らなかった世界では…。
地球の温暖化が急速に進んでいった。
ある時期から、それは加速度的に進み、気付いた時にはもはや人間の手には負えないレベルにまで発達してしまった。
様々な動植物が死滅したことにより、食物連鎖や地球環境が強烈なダメージを受けた。
生態系は、もはや修復不能、壊滅的となった。
海では、地球規模で赤潮が発生し、太平洋全土が真っ赤に染まった。海洋生物のほとんどが呼吸ができず、死滅した。
その死骸は海全体を覆い尽くした。赤潮で赤く染まった海は、今度はクジラや魚たちの腹を向けた死骸で銀色に輝いた。
その死骸にわいてでた微生物たちが空気中に舞い、大気が汚染された。腐敗臭は地球全土を覆い、人間は呼吸ができなくなった。
森林は枯れ果て、わずかな火種で地球規模の森林火災が発生し、大地のほとんどを焼き尽くした。
ゴキブリたちが異常発生し、その大群が空を覆い、地表に太陽光が届かないまでの巨大な群れとなって大陸を横断し、わずかに残っていた食物を食い尽くした。
もはや人類になすすべはなく、そのほとんどが死滅した。
もし、狂った大統領が、狂った政策を発表しなければ、パラレルワールドではそのような地獄絵図が繰り広げられていた。
なぜ。
なぜ、あの選挙で、誰1人、当選すると思われていなかったT氏が大統領に当選したのか。
なぜ、T大統領は、憲法を停止してまで、独裁者になりたかったのか。
なぜ、T大統領は、パリ協定には無関心だったにも関わらず、突如、エアコン禁止令を発令したのか。
それらの問いはまるで、
なぜ、地球は太陽と絶妙な距離で存在するのか
なぜ、地球に海ができたのか
なぜ、ヒトは二本足で歩くようになったのか、
なぜ、ヒトは道具を使えるようになったのか
なぜ、ヒトは社会を形成するようになったのか
という問いに近いような気がする。
見えざる神の手。
その存在を、感じずにはいられないのだ。
(完)
なお本作はフィクションです。作中に登場した全ての固有名詞、人名などは作者の想像の産物であり、実在しません。
また、エアコン業者、自動車業界、アスファルトなどが害悪であるかのような記述がありますが、全ては作者の愚かな想像の中の出来事であり、事実ではありません。