南方熊楠(みなかた・くまぐす)。知らない限り、絶対に読めない難解な人名ですが、僕と同世代の人はかなりの確率で読めるのではないか、と思います。
というのも、1990年、週刊少年ジャンプに「てんぎゃん〜南方熊楠伝〜」というタイトルで、南方熊楠の少年時代を描いたマンガが連載されていたからです。
連載は、残念ながら短期間で終わってしまいました。少年ジャンプは読者からのアンケートが絶対です。10週連続で最下位だったら、問答無用で連載打ち切り。
「てんぎゃん〜南方熊楠伝〜」も、かなり人気がなかったものと思われます。
作者は岸大武郎(きし・だいむろう)、というマンガ家さんです。実は「てんぎゃん」の前にも、「恐竜大紀行」という漫画をジャンプで連載され、それも短命で終わっています。
しかし、作者の名誉のために申し添えますと、鳥山明さんが「影響を受けたマンガは?」の質問に、「恐竜大紀行です」と即答されたというのは有名な話です。
当時のジャンプの「誌風」(そんな言葉があるのなら)に合ってはいなかったのかもしれませんが、30年近く経った今も、当時少年だった僕らの心に、なぜか残っている「てんぎゃん」、おそらくは、かなりの才能の仕事であったのだろう、ということは想像に難くありません。
「てんぎゃん〜南方熊楠伝〜」で僕が覚えている内容は、南方熊楠という小柄な少年が、和歌山の自然の中を走り回り、天狗(てんぎゃん)と出会ったりしながら、天才的な記憶能力(一度読んだ本の内容は完全に記憶、など)を駆使しながら、やがて偉大な学者になっていく下地を作っていく、という内容でした。
いじめっ子にいじめられた際に、彼の特技である「自由自在に吐瀉物を吐き出せる」という技を使って、自分より大柄ないじめっ子と対峙した、というエピソードの部分が、なぜか強烈に覚えています。
作品はとても中途半端な状態で終わっていたと記憶しています。人気がなかったための、強制終了だったのでしょう。
しかし、その後の人生においても、南方熊楠の名前を聞く機会は多々ありました。その度にこの漫画を思い出しました。
そんな同年代の男性は、とても多いと思います。
そんな熊楠の記念館が、白浜にあります。
それが「南方熊楠記念館」です。
白良浜ビーチから約2km。円月島を左に見ながら走ると
グラスボート乗り場、にたどり着けばもう見えています。
入り口。ここから、やや急勾配の坂を登ります。
こんな感じ。おばあちゃんたちが、手すりにつかまって難儀しながら下っていました。
「雨にけふる神島を見て紀伊の國の生みし南方熊楠を思ふ」
昭和天皇が、初めて民間人について詠んだ歌だそうです。
鬱蒼と茂る森の中に、突如として現れるモダンな建物。建てられたばかりの新館です。
壁全体が窓になっている一階。
ワーキングスペースも開放感に溢れています。
「番所山」とは、この記念館が建っている自然公園です。
木製の階段は自然を愛した熊楠の人生のメタファー。それを上がると…
熊楠の胸像。作者の保田龍門という人は、熊楠が亡くなった夜、デスマスクをとった人物で、そのデスマスクは展示室にあります。
その奥が展示室。ここから先は撮影不可。
展示室の中には、読んで暗記して、家で記憶から転写した本や、留学時代の熊楠のノートなど、超人的な記憶力や学習力を示すものなどがたくさん並んでいます。
熊楠が発見した粘菌を、顕微鏡で見ることもできます。
天皇陛下がこの地を訪れたとき、熊楠が陛下を前にこの地の植物について説明し、珍しい植物標本を献上しました。通常、その種の献上物は桐の箱に入れるのがしきたりですが、熊楠は森永ミルクキャラメルの箱に入れて献上したという、有名な逸話があります。
そのミルクキャラメルの箱の実物も展示があります。
ネイチャー誌に掲載された記事51本は、個人としては未だに破られていない記録だそうです。
一方で天下の奇人でもあり、大英博物館を出入り禁止になったそうです。
展示室の前には、こんなにも贅沢なワーキングスペースがあります。
そして、屋上からの眺めが壮観。白浜を360度見渡せます。
熊楠にゆかりのある土地が示されています。アメリカには6年もいたそうです。
その後、ロンドンへ。孫文と親交を深め、大英博物館では一目置かれながらも出入り禁止に。
日本が世界に誇る偉人、南方熊楠の生涯が、美しい自然の中に佇む美しい建物の中でわかる「南方熊楠記念館」。白浜にお立ち寄りの際は、ぜひ、足をお運びになることをお勧めします。