▼前回のお話。
捨て犬と妻
11年前の話です。
段ボールに入れられ、捨てられていた子犬。
うちのマンションはペット禁止なので、飼うことはできない。
でも親戚が旅行に行くので、数日間ペットを預かる、くらいのことは許容範囲です。
「名前はチャーニー」
子犬が入れられていたダンボールの内側には、子供の筆跡で、マジックでそう書かれていました。
だから僕はチャーニーと呼んでいましたが、妻は頑なにその名前で呼ぶことを拒みました。
「この子を捨てた人間がつけた名前なんか、けがらわしい!」
というのがその理由です。
「きっと、捨てた人にも、いろいろ理由があったんやで。この字はまだ子供の字。親に言われたんやで、捨ててこい、って。子供にしたら辛かったと思うで」
「関係ない。子供にそう親が言ったのなら、その人に親の資格はない。命を捨てる、っていうことは、テイ良く、手を汚さず、命を殺しているのと同じ。自分の子供に、殺しを教える親がどこにいますか?!」
妻は子犬を撫でながら、激しい怒りを宿した目でそう言っていました。
30年前、同じ思いをした自分の過去と、この子犬。
この子は、自分なのだ。妻はそう考えているようでした。
里親さがし
次の日から、里親探しが始まりました。
僕と妻は、職場で手当たり次第に色んな人に声をかけ、子犬の写真を見せて、里親になってくれそうな人を探しました。
特に妻は、帰宅したら、
「今日は〇〇さんと△△さんに声かけてみた。〇〇さんは、家にもう2匹もいるから無理って。△△さんは、お子さんが生まれたばっかりらしくて、今はちょっと…って」
などと、毎日、里親探しの進捗状況をこと細かに僕に報告してくれました。
当時、我が家は共働きだったので、家に誰もいないことが多く、そんな中に生後まもない子犬を置いておくのは、子犬も寂しいだろうし、僕たちも気が気ではありません。
妻の叔母さんの家で一時、預かってくれることになりました。叔母さんの家は大家族で、ワンちゃんも猫ちゃんも多く飼っています。僕はこの家に貰われるのがいちばん子犬にとっても幸せだろうと思っていましたが、もう定員が満杯のようで、飼うことはできない、と言われました。
この叔母さんが、交友関係がとても広い方で、子犬に対するアドバイスをくれた動物愛護協会に務める安西さんも、この叔母さんの友人なのでした。
そしてこの安西さん、動物好きは尋常ではありません。自分が稼いだ給料の大半を、捨てられた動物たちの保護に使っている人なのでした。僕たちが保護した日に電話で事情を聞いていたので、気になっていたらしく、子犬の様子を見にきてくださいました。
子犬は家の中を走り回り、とても元気です。口の左右に、まるでえくぼのような場所に黒い点がありました。
口の周りが黒いので、冗談で
「ドロボーみたいやな!(笑)」
なんて、みんなから言われていました。
安西さんも、動物愛護協会のコネクションを使って、里親さがしに協力すると約束してくれました。
「元気でね」
里親を探し始めてから、10日ほどが経過したある日。
あの、安西さんから連絡がありました。
飼いたい、という方が見つかった、とのこと。
2006年3月12日の日曜日。僕、妻、そして安西さんは、子犬を連れて、里親を希望していただいた方のお宅へと向かいました。
▼まさにその時の車中。どこか、不安そう…
車中で安西さんから伺ったのは、Yさんはまだ最終的に飼うことを決めたわけではない、ということ、現在、飼われているワンちゃんが病気で、もう長くないこと、などを聞かされました。
Yさんは、久宝寺緑地という公園のすぐそばにお住い。
僕らを迎えていただいたのは、笑顔に溢れ、見るからに善意のかたまりと言ったイメージの奥さんでした。
奥さんは、子犬の顔を見るなり、
「ああ、小さな、可愛い子やなあ!」
と感極まっていらっしゃいました。
安西さんが、
「抱っこしてみますか?」
と水を向けると、
「ああ!抱っこしたらもうアカンやろうなあ!抱っこしたらもうアカンやろうなあ!!」
とおっしゃりながら、子犬を胸で抱っこして、顔をペロペロと舐められていらっしゃいました。
もうお母さんは、子犬に夢中のご様子でした。
「ああ、気づきませんで!どうぞ、お上りください!」
実は以上は、Yさんのお宅の玄関先でのやりとりだったのです。それほどYさんの奥さんは、子犬に夢中なのでした。
リビングには、ご主人もいらっしゃいました。奥さんはずっと笑顔でよくおしゃべりになりますが、ご主人は僕たちには会釈をされた程度で、ほとんど口をおひらきにはなりませんでした。
ご主人の興味はただ一つ。
子犬なのでした。
お母さんの手から子犬を渡されると、ずーっと、満面の笑顔で子犬に話しかけてらっしゃいました。子犬への愛情が溢れていらっしゃいました。
このご夫婦なら間違いない。
そう直感しました。
▼Yさんのご主人さんに抱かれる子犬。ご主人は何かをずっと小声で話しかけていました。
部屋の片隅には、もう一匹のワンちゃんが、静かに佇んでいました。
奥さんが、この白いワンちゃんを飼うことになった経緯を話してくださいました。
「この子はね、久宝寺の公園に、捨てられていたんです。この子と、この子が産んだ、3匹の子犬と一緒に。ウチで保護して。子犬は小さいから、なんとか里親さんが見つかったけど、この子はもう大きかったから、誰も引き取り手がなくて。だから、うちで飼うことにしたんです。でも今は病気で。もう長くはないって言われています」
この白いワンちゃんの目の周りなどを丁寧に拭いてあげるY夫婦の手つきには、このワンちゃんへの愛情がこもっていました。
もしうちの子犬が新入りで入っても、この古株のワンちゃんへの愛情が薄らぐような、そんな人格のご家庭ではない。
そんな確信も持てました。
「どうなさいますか?この子犬、Yさんのご家族になってもいいですか?」
安西さんがお尋ねになられました。答えは聞くまでもありません。ご主人はもう子犬を家の奥にまで連れて行っていました。
僕たちは、Yさんの家を出ました。
「元気でね」
妻は最後に子犬の頭を撫でました。
Y家の扉が閉まり…
クルマを停めたコインパーキングまで少しの距離を歩きました。
妻は、泣いていました。
大粒の涙を、ボロボロと流して泣いていました。
この10日間、子犬のことばかり考えていた妻。
とてもいい里親さんに巡り会えた安心感と。
子犬とお別れしないといけない寂しさと。
自分のこれまでの人生と。
いろんなものを重ね合わせて、泣いていました。
「よかったね」
と僕は言いました。
「うん」
と妻は言いました。
エピローグ
月日は流れ…
Yさんは子犬を「ダイちゃん」と名付けました。ダイちゃんは近所の子供達に大人気。ワンちゃんが怖くて近寄れなかった子供も、ダイちゃんになら触れる、ダイちゃんは優しいから怖くない、と評判が立っている、という噂を聞いていました。
実は僕はこのころ、久宝寺緑地をランニングする習慣がありました。一度、久宝寺緑地を散歩する、Yさんのご主人の姿をお見かけしたような気がしました。
その時は走るのに必死で気づかなかったんですが、後になって、
「あ、あれ、Yさんだったんじゃないかな?!」
って思ったのでした。
妻にそのことを伝えると、妻は久しぶりに、Yさんの奥さんにメールを打ちました。
どうやら、時間や場所から考えて、Yさんに間違いなかったようでした。そして、一日に3回、久宝寺緑地を散歩することなどを教えてもらいました。
2006年7月23日の日曜日、お昼の散歩の時にダイちゃんと会うことになりました。
約4ヶ月ぶりの再会です。
向こうからやってきたダイちゃんは…
信じられないくらい、大きくなっていました!
子犬は必死に吠えて、助けを求めて、命をつなぎとめました。たった4ヶ月で、ここまで大きくなりました。
これからもきっと、たくましく育ってくれることでしょう。
(完)