いろんなマラソン大会に応援に行きますが、大会ごとに違った、「特に応援したいランナー」がいます。
今回、村岡ダブルフルウルトラランニングで特に応援したいと思っていたのは、てっちゃんでした。
去年、僕とほぼ同じ時期に大きな手術をしたてっちゃん。
彼が受けた手術は、僕が受けたものとは比べ物にならないくらい大きな手術、それこそ、本当に、生と死を分けるレベルの手術でした。
さらにその数ヶ月前にも、網膜剥離の手術も受けていらっしゃいます。
人生の大きな転機を、僕とほぼ同時期に経験したてっちゃん。
彼に対して、僕は勝手にシンパシーを感じています。
先日の「鯛焼きロゲイニング」ではすっかり元気になった姿をみんなに見せてくれて、
「村岡の100km走るからな!!」
と鯛ロゲ参加者全員に宣言したてっちゃん。
これは、応援に行くしかあるまい!!
その思いを強くして、僕もお方さまも、余念無く準備をしていたのでした。
応援ノウハウ・2ヶ所での応援
フルマラソンでもウルトラでも、われわれはなるべく、2箇所で応援したいと思っています。
1ヶ所目は、ランナーにまだ余力のある地点で。
2ヶ所目は、いよいよ辛くなって来ている地点で。
フルマラソンでは…
フルマラソンで言えば、1ヶ所目は7km地点くらいです。ランナーはまだ笑顔、余裕の表情で会話ができてハイタッチもできます。
フルマラソンで言えば、2ヶ所目は30〜35km地点。「30kmの壁」を過ぎ、エネルギーが枯渇し、フラフラになる地点。
もうやめようか、と思っているこの地点で応援をもらえば、「やめるわけにいかない」と言う消極的な事情も発生しつつ、「もう少し、頑張ろう!!」と言う積極的なモチベーションにも火がつく、絶妙な応援ポイントです。
100kmウルトラでは…
それが100kmマラソンになったら…。
1ヶ所目が30km地点になります。フルマラソンで言えば、フラフラになっているはずの地点。
いくら100kmランナーが鉄人とは言え、30km地点でフルで言う所の7km地点の元気を保っているかと言えば、決してそんなことはないはずです。
それでも、100kmで言えばまだ前半なんです。ランナーは来るべき後半に余力を残しつつ、この地点を通過しなければなりません。
続々と通過する、バラエティに富んだランナーたち
「村岡ダブルフルウルトラランニング」は100kmの他にも88km、66km、120kmのランナーがこの地点を通ります。距離によって若干、コースも違うため余力具合もさまざま。
ビール片手に現れた、66kmランナーもいました。
余裕の笑顔で通り過ぎた、88kmランナーもいました。
最終的に120kmを走破したランナーは、涼しい顔をしてこの地点を過ぎて行きました。
なぜか村岡の100kmだけは完走できずリベンジを誓っているランナーも、しっかりした足取りで通過して行きました。
しかしながら…。
なかなか、てっちゃんはやって来ません。
彼はフルマラソンを、手術前は3時間17分で走っていました。そもそもの潜在能力が違います。
「もしかしたら、僕たちがこの地点に到着する前に、通り過ぎてしまったのかも…」
と言う疑念すら湧いて出ました。
「てっちゃん来たぁ!!」遠くから聞こえた声
その時、遥か遠くから、
「てっちゃん来たぁ!!てっちゃん来たぁ!!」
と言う、歓喜の叫び声が聞こえました!!
てっちゃんは人気者なので、彼の到着を待っていた応援者は他にもいたのでした。僕より前の場所で応援をしていた人が先に彼を見つけ、歓喜のあまり叫んだ声が僕の耳にも届いたのでした!!
そして…
後続のランナーはまばらになっていましたが、笑顔で坂を登ってくるてっちゃんの姿が見えました!!
冷えた炭酸水を手渡すと、
「美味いなぁ!!これ、何か入ってるの?」
と明るい声で言いました。何も入っていない、ただの炭酸水ですが…(^_^;)
「完走できそう?」
僕の問いに対し、相変わらず、明るく、ハキハキした口調で彼は言いました。
「うーん、完走はしんどいかもしれんなあ」
大手術を終えてまだ1年足らず。無理は絶対に禁物です。
「そうなんや。無理したらあかんで!!」
「オウ、わかってるよ!!」
「一応、次は70km地点で応援する予定なんやけど…」
「わかった!!じゃあ70kmまでは必ず行くようにするわ。ホナな!!」
そう言って、彼は登りが8km続くモンスター・スロープに戦いを挑むべく、力強く登って行きました!!
70km地点へ
さて、次は70km地点へ。
エイドも兼ねた、4番目の関門が73.3km地点にあります。関門は15時ジャストに閉鎖。
ここを目指してクルマを走らせました。
駐車に適した場所がなく、1kmほど離れたところにクルマを停めました。
エッチラオッチラ歩いて。
第4関門の300メートル手前、下り坂の途中にわれわれのエイドを設置しました!!
下り坂の途中。止まれないランナー
そこは長い下り坂の途中。
通常のマラソン大会なら、下り坂の途中にエイドを設置してもダメです。ランナーは止まらず、通り過ぎて行くからです。
しかし、坂しかない村岡は、通常のマラソン大会とは違います。
フラフラの足で、3kmもの下りを駆け下りて来たランナーたちは、必死で止まろうとしていました。
ここで止まらなければ!!
水分、エネルギー、コールドスプレー、などを補給しなければもう進めない!!
必死の形相でストップをかけて、僕たちのエイドに立ち寄ってくれるランナーたち。
44kmコースにとってこの場所はまだ13km地点。
まだまだ元気な44kmランナーの笑顔はとても輝いていました!!
オレンジゼッケンは44km。マスクを脱いで炭酸水、フルーツを一気飲みした黄レンジャーさん!!素顔写真はNGでした(^_^;)
ゴールドゼッケンは120km、勇者の道の挑戦者。それでも足の痛みにコールドスプレー希望者続出。
待ち人、来らず
3年前の福知山マラソン以来の再会になる友人や、走ってるとは知らなかった44km挑戦の美女軍団。
さらに30km地点でビール片手に現れた破天荒ランナーも、73km地点にやって来ました。
鯛焼きマラソン主催者のタモンさんは、お姉さんと一緒にやって来ました。
44kmランナーも加わり、太陽は村岡の坂道に照りつけています。
炭酸水、氷、グレープフルーツはあっという間になくなってしまいました。
コールドスプレーも、最後の一缶を残すのみになってしまいました。
まだ来ていない友人たちのために、わずかに残った物資はとっておくことにしました。
そして…
14時45分。残り時間が迫って来ました。
300メートル下にある関門は、15時閉鎖。
もう時間がありません。
てっちゃんは来ません。
彼には70km地点、と言いました。
ここは73km地点。
もしかしたら、70km地点にいるのかも知れない。
そんなはずはないのですが、僕は矢も盾もたまらず、坂道を上に登り始めました。
まだまだ諦めていないランナーたちが、痛い足をこらえて必死に坂を下ってきています。
「ナイスランナイスラン!!関門はこの下すぐにあるよ!!」
「わかったありがとう!!」
すれ違う何人ものランナーたち。
村岡の100kmがどうしても走破できず、リベンジに挑んでいるランナーがいました!!
「たぶんギリギリ間に合いますよ!!」
僕は彼に言いました。数百メートル下にいるお方さまに電話を入れ、彼が行くから水とフルーツを事前準備するよう伝えたかったのですが、山が深すぎて電波が届きませんでした!!
僕はさらに登りました。
「70kmまでは必ず行くようにする」
と約束してくれたてっちゃんの声がまだ耳に残っていました。
そして約束の70km地点に来ましたが…。
てっちゃんはいませんでした。
もう、時間はありません。
僕は下りました。お方さまがいる場所まで。
この写真は14:55:52秒に撮影。関門まであと1km、下りを利用し全力疾走で通過を目指しています!!
下りながらも、背後からてっちゃんが来ないか、なんども振り返りながら…。
でも、彼は来ませんでした。
「まだあの手術して1年たってないねんから、無理したらアカン。てっちゃんがここまで、って判断したんやったら、その判断が正しいに決まってる!!」
と合流したお方さまも言いました。
関門閉鎖
15時。
関門は、閉まりました。
僕とお方さまは、荷物をまとめて、帰る準備をしました。
てっちゃんが来ないか、何度も振り返りました
炭酸水やコールドスプレーの大量の空きボトル、ゴミが満載されたゴミ袋二つ、などを抱えた僕とお方さまを見て、関門で作業されている人たちは皆、
「お疲れ様でした!!」
と声をかけてくださいました。
僕たちも挨拶を返しましたが、最後の待ち人がこなかったので、どことなく、力のない挨拶になってしまっていたと思います。
ゴールを見に行こう
近所にはいくつも温泉の施設があるようでした。お方さまは温泉でも行こうか、と言ったのですが、僕はどうしてもゴールを見に行きたいと思っていました。
ゴールは村岡小学校。
クルマを走らせ、邪魔にならない場所に駐車し、ゴール地点へと向かいました。
ちょうど、66kmの表彰式が行われていました。
タスキは120km、「勇者の道」を走破した証。
知った顔が誰かゴールしないかな…と待っていましたが、結局、誰も現れず。
お方さまは明日は早く出勤しなければなりません。
「楽しかったね。じゃあ、帰ろうか」
クルマに戻ろうと思ったその時…。
再会
ゴール前の縁石に腰掛けている人物が目に入りました…。
てっちゃんや!!\( ˆoˆ )/!!
てっちゃんがそこに座っていました!!
収容バスで、荷物があるこの小学校まで来ていたのでしょう。
「てっちゃん!!」
とわれわれ夫婦は彼に駆け寄りました!!
「おぉ〜」
てっちゃんは笑顔で言いました。でも、いつもの力強さは感じない笑顔でした。
「残念やったね!!」
と僕は言いました。
「そやねん…。70kmで待ってる、って言うてくれたやろ?そやから絶対そこまでは行こう!!って思っててんけど…。足が動かなくなってなぁ…ごめんやで」
「かまへんかまへん!!」
「73.3kmの関門まであとちょっとやったけど。下りやのに足が出ないねん…。後ろからクルマが来て。『もう関門、閉まりました。これに乗って、関門まで行きますか?』って言われたから」
僕は思いました。ええっ?!じゃあ、てっちゃんは僕たちのすぐそばまで来てた、ってこと??!!
「でも関門までもうちょっとやから。『いいや、自分の足で行きますわ』って言うて、関門までは自力で走ったけどな」
もう関門は閉まっているから、自力だろうがクルマだろうが関係ないのに、動かない足で、這うように関門まで走ったのは、バカな意地です。
でもてっちゃんらしい。
彼は約束を守ったんです。
僕たちが、あの場所を早く離れすぎただけで。
「クルマに乗らんで、1人だけで、あの坂、下ってたら…。なんか、ボロボロ、涙が出て来てなあ…」
「てっちゃん…」
「また、大阪城のあの坂で、練習しやなあかんな!!2、3回、あの坂、上り下りしよか!!」
「2、3回じゃあかんやろ!!(笑)」
「そやな!!100回、200回、練習しやなな!!」
そう言って僕たちは別れました。別れ際も、彼は立ち上がることができないことを詫びていました。足がガタガタで、立つことができなかったのです。
精一杯の変顔でおどけるてっちゃん。足が辛く、立ち上がれませんでした。
誰も知らない最後の勇者
「てっちゃん、悲しそうやったね…」
とお方さまが言いました。
きっと、これに向けて、かなりの練習をして来たんだと思います。
てっちゃんにとって、初めての村岡とのことでした。モンスター級の坂は、彼の想像を超えていたのかもしれません。
しかし、たった1年前に、内臓の一部を摘出し、体内に巣くった悪魔との戦いに打ち勝ち、そこから挑んだこの村岡ダブルフル。
敗れはしたものの、73kmまでたどり着くなんて、とてつもない回復ぶりでしょう。
この日、147人のランナーが「勇者の道」120kmを走破し、勇者の称号を得ました。
でも、ここで、悔し涙を流しながら、次の戦いへの闘志を燃やしている彼もまた、誰がなんと言おうと、勇者に違いない。
と僕は思いました。