2020年4月10日の夜に、大林宣彦監督がお亡くなりになりました。
ご冥福をお祈りいたします。
エキストラ体験
大林宣彦監督と僕は、ほんの一瞬ですが、交わったことがありました。
ちょっとだけその話をしたいと思います。
1985年の映画「姉妹坂」は、京都に住む4姉妹を描いた映画です。
三女・沢口靖子は大学生、キャンパス内の撮影は我が母校の同志社大学内で行われました。
エキストラ募集の条件が「半日拘束で5000円、昼食付き」と当時としては破格の条件。学生は我先と飛びつき、抽選状態。
しかし。
演劇サークルに属している学生は無条件で採用されました。
当時、僕は同志社小劇場という劇団に所属していたので、無条件に採用されたのでした。
撮影の日の失敗
さて、撮影の日。
集合時間が早く、僕はやや寝ぼけまなこで自転車に乗り、今出川キャンパスへ。
そこにはすでにたくさんの撮影スタッフやエキストラが集合していました。
我が劇団の同僚たちが、僕を一目見るなり…。
「あ〜あ。池田、やっちゃったな(笑)」
と僕の格好を見て苦笑しました。
「え?何が?」
アホヅラ下げて僕が聞きます。
「募集要項を見なかった?ジーパンはNGだって書いてた。この映画の時代、まだ日本にジーパンはなかったから」
ええっ…。それは知らなかった…。
その日の僕のいでたちは、汚いネルシャツに、その頃、ずっと気に入って履いていたオーバーオール。ボロボロの。
芝居の衣装用に古着屋で買ったのを気に入って、そのまま着ていたのでした。
で、その話を聞いた助監督が、
「大丈夫、ちゃんと着替えも用意してるから」
と言って、着替えの場所に案内してくれる、と思ったら…。
「ご紹介します、大林宣彦監督です」
在りし日の大林監督
監督はデレクターズチェアに座ってらして。
足を組んで、確か下駄を履かれていたと思います。
テレビや雑誌で見るのと全く同じ、あのひげもじゃで、大らかな笑顔で、われわれエキストラにも笑顔を向けてくださいました。
「ジーパンを履いてるエキストラがいるので、着替えてもらいます」
助監督が僕を指差しておっしゃいました。
すると大林監督は僕をチラッと見て。
「うん?」
と一声、つぶやき。
今度は椅子を僕の方に向けて。
じっくりと、穴があくほど、僕の姿を見て。
「…。いいねえ!!いいよ!!」
と一言、おっしゃいました。
助監督が、
「えっ…。いい、とおっしゃいますと?」
「いいよ、その学生さん、すごくいい!!着替える必要はない」
とおっしゃると、また台本に目を落とされました。
汚いネルシャツにオーバーオール。ジーンズの素材はまだ日本に存在しない時代の映画でしたが、
なぜか、僕のその格好は、監督が描かれる世界観に、たまたまマッチしていたみたいで。
僕はそのまま、撮影に参加したのでした。
タイムトラベラー(笑)
一度だけ、僕は完成した「姉妹坂」を見ました。映画が始まってわずか数秒もたたないうちに、沢口靖子の大学のシーンがあって…。
一瞬だけですが、僕の姿が確認できたことを覚えています。
ジーンズが存在しない時代にただ1人、ジーンズ素材のオーバーオールを着ているエキストラ。
そんなタイムトラベラー、〝時をかける男子学生〟を「姉妹坂」の中に見つけたら、それは僕です(笑)
ほんの一瞬だけの邂逅でしたが、大林監督の大らかにお人柄に触れることができたその瞬間のことは、今でも鮮明に覚えています。
素晴らしい作品をありがとうございました。