本作はドタバタ喜劇である。そのことを真っ先に理解しておかなければならない。
もしそこを理解しておかなければ、途中でしらけてしまって、本作に対する感想は正反対のものになるだろう。
「空港でパスポートを偽造しながら飛行機に乗り込むことなどできるはずがない」「30年も練習していない楽団が演奏できるわけがない」などなど、この映画には突っ込みどころが満載だからだ。
そんな野暮なこと言うなよ!ドタバタ喜劇なんだから!!
そう理解しながら見ると、本作はとても良質な喜劇だ。そして喜劇であると安心しながら見続けると大笑いできる。
30年前の楽団のメンバーがエロ映画の吹き替えをやっていたり、パリのレストランが閉店していることを認めないロシア人のために、同じ名前のインド料理店に連れて行ったり、とにかくそこかしこに笑いの地雷が散りばめられている。
マフィアの結婚式で、銃弾の雨あられをかいくぐりながら楽団を売り込むなんて大笑いだ!シリアスドラマにはあり得るはずがない!腹を抱えて笑える!
こうして完全に油断して大笑い、これこそが作り手たちが仕掛けた罠なのだ。
ずっと、喜劇としての調子は続く。しかし愚かな観客(つまり僕)が気づかぬうちに、物語は徐々に曲調を変化させていく。
30年前、KGBにより強制的に終了されてしまったコンサート。共産主義の闇が奪ったロシア人音楽家たちの将来。同じように、今は共産主義者たちこそが絶たれる寸前の夢に縋り付きながら生きている現状。ユダヤ人音楽家の悲劇。
作り手たちは、ドタバタ喜劇という煙幕をはって、意図的にこれらの悲劇的要素を隠しながら物語を進めていた。それらは気づかぬうちに我々の意識下に入り込んでいた。
さらに作り手たちは喜劇という煙幕で我々の思考回路を麻痺させ、絶妙な語り口で我々をミスリードしていく。すべての伏線が回収されるラストシーン、我々は自分が予想していたものとは正反対のラストに驚愕する。
「してやられた!」と思った時にはもう遅い。我々は作り手の手のひらで遊ばれながら、まったく違うラストを想像するように仕向けられていた。そのことに気づいた時にはもう遅く…
延々12分を越える、ラストのオーケストラのシーンは実に圧巻だ。映画とオーケストラが見事に融合した、最高に感動的なシーンだ。喜劇の裏に隠されていた謎が、音楽とともに明らかになり、30年に及ぶ思想や感情の過ちが、すべて音楽とともに天空へと昇華していく様を見るような気がした。
気づいた時には涙が溢れている。何度も、何度も見た映画だけど、見るたびに、本作のラストを見ると涙を止めることができない。
まだご覧になったことのない方には是非ともお勧めしたい作品です。
くれぐれも。喜劇であるという前提をお忘れなく。
STORY
ロシア・ボリショイ劇場で掃除夫として働くアンドレイは、30年前は天才と謳われた指揮者だったが、時の政府の意向に反したため職を追われ、現在に至っている。ある日、支配人室を掃除していたら、パリのシャトレ座からボリショイ楽団への公演以来のファックスが届く。アンドレイは30年前の仲間たちを集め、自分たちが演奏しようと思い立つ。フランスまでの国際電話、仲間たちの集合、衣装、楽器、パリまでの旅費、パスポートetc…様々な問題をノリと勢いで解決しながら、この無謀なわるだくみは進んでいく。
演目は、チャイコフスキー・バイオリン協奏曲。バイオリンのソリストには、新進気鋭の美人バイオリニスト・アンヌ=マリーの招聘にこだわるアンドレイ。
果たして、この無茶苦茶なコンサートは無事に開くことができるのか。そしてアンドレイが隠していた、本当の目的とは…