心房細動を治療するため、心臓カテーテルアブレーション手術を行いました。心臓に管を入れて、悪さをしている部位を焼き切る手術です。
僕の周りにも、同様の手術をされた方は何人かいらっしゃいます。走ることに復帰された方も多くいます。
僕は小心者なんで、一度、メスを入れた(厳密にはメスではありませんが)この心臓がどのくらいの心拍に耐えてくれるのかが怖くて、恐る恐る、ランに復帰しているといった状況です。
ところがさらに追い討ちをかける事態が発生しました。右膝が、突然、痛み出しました。
今まで膝が痛むことはありませんでした。軽く考えていたのですが、いつまでたっても治らない。
半月程度で、試しに走ってみたら、かなり痛みました。まるで、軟骨がなくなって、骨と骨が直接、ぶつかり合っているかのような痛みでした。
膝の軟骨がなくなり走れなくなったランナーさんの話はよく聞きます。
僕はとても恐ろしくなりました。
膝に特殊な手術をして、ランに復帰した友人もいます。骨の一部を切って、空いた空間を軟骨がわりにする、と行った手術だったと記憶しています。
復帰するまでに3年以上、かけてらっしゃいました。それも、血もにじむような努力の3年。
膝痛を軽く考えていたことへの恐怖、あの友人の身に起こったことが自分にも起こったのか、と言うことへの恐怖…
痛みが発症してから1ヶ月、ドクに教わったPose Methdを忠実に再現して走れば、膝に痛みがまったくこないことがわかりました。
真下で着地、フォアフット、体幹で前進、蹴り出し厳禁、かかとは尻方向に巻き上げ…
自分のものになっていたと過信していたフォームは、ぜんぜん自分のものになどなっていなくて、全神経を注力しなければそのフォームで走ることなどできていませんでした。
でもそうすれば走れた。
キロ7:30程度のスピードながら。
走れた、ことが何よりも嬉しい。
せっかく心臓を治療したのに、膝でダメになっちゃうのか?と思ったこともありました。
もちろん、まだまだ膝には注意を怠ってはいけない、と思っております。これ以上、痛みが出るようなら医者にもいかないといけないと思っています。
ごく最近も、ある、ランニング関連の、とても大きな世界大会を走った経験のあるランナーさんとお話しする機会がありました。そのランナーさんは、極めて過酷なその大会を、眼を見張るような成績で走り切ったにもかかわらず、その後、怪我をしてしまわれました。
一時は、2度と走れないと言う状況も覚悟した怪我だったそうです。
今は、少しずつなら走れるようになってきたそうです。
あの過酷な大会を走破した頃の自分の走りはできないけど、ただ、走れることが幸せだ、とそのランナーさんはおっしゃっていました。
ぜんぜんレベルが違いますが、僕はこの言葉にとても共感できました。
「ただ、走れることが幸せ」
この言葉、ランナーは噛み締めたいと思います。
何かの結果が悪く、「もう走ることをやめる」なんて、死んでも口にして欲しくない。
「走りたくても走れない」と言う人も、何人も見てきました。「じゃあその足、オレにくれよ」って言いたいランナーが、何人いるでしょうか。
人間は走るために生まれてきた動物である、と言うのが、名著「Born to Run」の結論でした。
ランナーは、その太古の記憶とともに走り続けています。
「ただ、走れることが幸せ」
この言葉を胸に刻んで、身体をケアして、研磨して、少しずつ走っていこう。
「人は年をとるから走るのをやめるのではない。走るのをやめるから年をとるのだ」
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