走れダイエットランナー!

ポンコツ夫とポンコツ嫁はん。ランニングで健康維持しつつ映画やテレビ見ながら言いあらそうブログです。

MENU

「世界まる見え」にて。わずか3歳でハーフマラソンを2時間4分で走破、4歳でフルマラソンを48回完走した少年の数奇な運命…。

f:id:maddiehayes9915544:20180206210325p:plain

 

2月5日の「世界まる見え」において紹介されたこの話、僕は不勉強で知りませんでした。

 

・3歳でハーフマラソン(21.0975km)を2時間4分で走破。

 

・4歳でフルマラソン完走回数48回。

 

そしてさらに…。

 

・4歳で65kmのウルトラマラソンを完走。

 

という、にわかには信じられない少年が、かつてインドにいたというのです。

 

彼の名前はブディアくんといいます。

 

彼がなぜ幼くしてマラソンランナーになったのか。

 

そして5歳以降の彼がどうなったのか…。

 

生い立ち

2002年にインドのスラム街に生まれたブディアは、1歳にして父親と死別します。

 

ブディアの母が働いても生活は立ち行かず、母はブディアを行商人に800ルピー(約1900円)で売り渡します。

 

しかしそこでの生活はブディアにとっては辛かったようで、虐待を受けていた模様です。

 

そんな彼を見かねて、養護施設を兼ねた柔道場を運営していたダスという名の男性が、自分の施設に引き取ります。

 

しかしダスは柔道のコーチ。

 

なぜマラソンか?というと…。

 

マラソン覚醒

 

ある日、ブディアが友達の悪口を言った、と知ったダス先生は、罰としてブディアに走ることを命じます。

 

それが朝の6時。

 

その後、ダス先生は外出。おそらくブディアが走っていることなど忘れてしまっていたのでしょう…。

 

午後1時に戻ってきてみると…。

 

なんと、ブディアはまだ走っていたのでした!!

 

それを見たダス先生は、ブディアにランニングの素質があると見抜いたのでした。

 

こうしてブディアは長距離走の練習をして。

 

わずか3歳でハーフマラソンを2時間4分で走破。

 

ちなみに今年初めに走った「勝手に」ひらかたハーフマラソン、僕は2時間22分でしたけど…。(^_^;)

www.rundietrunner.com

 

3歳でハーフマラソン完走という快挙で、ブディアは一躍、インドマラソン界の大スターとなりました!!

 

さらに4歳になって、フルマラソンを48回も完走しました。

 

ダス先生、ブディアの養父に

 

オリンピックを目指すと公言するコーチのダスは、ブディアの名前でマラソン基金を設立しました。

 

そしてダスは正式にブディアを自分の養子として迎え入れます。

 

さらにスラム街にいたブディアの母親にも仕事を世話し、ブディアの実母から深く感謝されていました。

 

ウルトラ完走後のトラブル

 

2006年5月3日。

 

4歳のブディアは、65kmのウルトラマラソンに挑戦します。

 

この挑戦への批判

 

 

プラミラ・マリク(児童福祉大臣)

 

「あのコーチは自分が名声を得るために幼い子供を利用しているに過ぎない。児童虐待ではないか」 

 

午前4時7分

 

65kmマラソンスタート。

 

彼の前後を10人近い伴走者と5〜6台の自転車隊に囲まれながら、彼がテンポ良く走っている映像が残っています。

 

午前8時30分

 

42km地点到達。(4時間半)

 

気温は34度に上昇。

 

ブディアの顔は苦痛に歪み、かなり汗をかいています。

 

が、伴走している大人たちがそのことを気にしている様子はあまり見えません…。

 

7時間2分経過

 

ブディア、65kmを完走。

 

しかし…。

 

完走の証として首にレイをかけられたブディアの手を引っ張るように、ダス先生はさらに3km先にあるスタジアムまで、ブディアを走らせます。

 

そこにはたくさんの観客や町の有力者がつめかけていたからでした。

 

ところが…

 

その3knを、ブディアはもう走ることができませんでした。

 

彼は倒れ、なんらかの発作を起こします。

 

瞳孔が開いた目で全身から力が抜け、立つことができず。

 

居合わせた軍医によりすぐさまブディアはクルマに乗せられ、スタジアムまで運ばれました。

 

ナヤク軍医の証言

 

「私がいなければ、あの子は死んでいました。あのコーチは幼い子供の命をもてあそんでいる」

 

この時の映像をみていると、虚ろな表情のブディアが、ものすごい勢いで水をガブ飲みしています。

 

まさか、ブディアは、水を与えられていなかったのでしょうか…。

 

しかし、このあとブディアは回復。

 

ダス先生が用意していた医師はブディアを診断し、

 

「心拍もなにもかも極めて正常」

 

であると診断します。

 

児童虐待?

 

この3日後…。

 

コーチのダスが児童虐待の容疑で逮捕されるかもしれない、との報道が駆け巡ります。

 

州の児童保護委員会の命を受けた警察がブディアの健康状態を徹底的にチェック。

 

その結果は…。

 

ブディアの体調には何も問題は見つかりませんでした。

 

マラソン禁止

 

それでも児童保護委員会は4歳のブディアがマラソンを走ることを禁止する、と通達してきました。

 

これには世論も半分に割れ。

 

ダスコーチは天才ランナーを見出し英才教育をしているのか。

 

それとも、児童虐待なのか。

 

コーチの黒い噂

 

そんな中、児童保護委員会は

 

ダスコーチがブディアのマラソン基金から、90万ルピー(約260万円)を横領していると発表します!!

 

この疑惑に対し、ダスコーチは全面的に否定。

 

母親の反乱

 

するとブディアの実母が、ダスコーチを信用できないとして、彼の手からブディアを奪い返します。

 

これにはスラム街を牛耳るグループの手を借りたようで…。

 

そもそも母親のこの行動自体が、

 

「児童虐待で訴えればコーチから大金を受け取れる」

 

と何者かから吹き込まれた結果であるようです。

 

ダス先生の死

 

そんな中、悲劇は起こります。

 

ダスコーチが持っているとされるカネ目当てで、地元のギャングがダスを銃撃し、そのままコーチは帰らぬ人に。

 

その後…。

 

8歳の時、スポーツ特待生となったブディアは、マラソン選手としてのトレーニングを受けるべく新しい学校に通うこととなりました。

 

亡きダス先生について、ブディアは…。

 

「先生との生活はとても楽しかった。僕は虐待なんか受けていない。今でも走っていると、先生のことを思い出すんだ」

 

と述べていました。

 

エピローグ

 

現在、ブディアは16歳になりましたが、児童保護委員会からのマラソン禁止令は未だに効力を持っていて。

 

1,500メートルしか走ってはいけないそうです。

 

しかしブディアはマラソンへの情熱は失っておらず。

 

いつかオリンピックに出たい、という夢を抱き続けているとのことでした。

 

結局、ダスコーチは…??

 

番組では、ダスコーチの所業が結局、児童虐待であったのか、また、ブディアの基金から横領したという疑惑は本当だったのか、明らかにしませんでした。

 

しかし、わずか4歳の子供にフルマラソンを1年で48回も走らせるなど正気の沙汰とは思えません。

 

それどころか…。

 

65kmのウルトラマラソンまで走らせ。しかも34度の猛暑の中、満足に水も与えず。

 

「コーチ」と言っても、そもそも柔道を教えていただけで、マラソンに関してはズブの素人のはず。

 

どう考えても、信頼できるコーチとは思えません。

 

ただ…。

 

残っている映像を見れば、ダスと走っている時のブディアは心の底から幸せそうでした。

 

ブディアは1歳で実母から1,900円でモノのように売られ。

 

売られた先で虐待を受けていたところから救い出したのは、紛れもないダス本人であり。

 

いったい、何が正しいのかは、最後まで明かされませんでした。

 

東京オリンピックは真夏に開催されます。

 

インド代表でブディアが真夏の東京の空の下を駆け抜ける姿を見たいものです!!