大好きな名古屋ウィメンズマラソン、今年も応援いきます!
大和八木を6:29に出る名古屋行き近鉄特急にのって、20キロ地点と36キロ地点に、ガチャピンとムックであらわれます!
プチエイド
グレープフルーツと塩飴とコールドスプレー用意しておりますので!
たくさんのランナーさんのお越し(?)をお待ちしてます!
みなさんがんばってねー!
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3/8に放送された「奇跡体験!!アンビリーバボー」でマラソン関連の話題を放送されていました。
それは「偶然の連鎖!奇跡で紡いだ命のリレー」と題された、2016年の「高知龍馬マラソン」において、心停止に陥ったランナーさんを、偶然居合わせた7名の医療関係者のランナーが、連携して救助にあたり、命を救った物語なのですが。
番組内で説明されていた、心停止へのメカニズムや、心臓マッサージの意味、AEDの使用方法など…。
心臓手術を受けたことがある身としてはとても興味深い内容でした!!
心停止に陥ったのは65歳の男性の森岡さん。この日が初フルマラソンでしたが、練習を積み、10kgの減量にも成功していた、とのことでした。
この日は2月にもかかわらず、なんと20度を越える暑さだったそうです。寒い中、行なってきた練習に慣れた体にはこの暑さはかなりこたえたはず。かなりの汗が出ていたものと思われます
にもかかわらず、森岡さんは最初の給水ポイント、恐らくは5km地点、での給水を怠ります。
理由としては、給水場付近に紙コップが散乱して、足を取られそうになったからだ、とのことでした。
初心者になればなるほど、給水ボトルを携行してマラソンに挑むべきだ、と思うのです。
僕の友人でフルマラソンを3時間17分で走る俊足ランナーでさえ、
「僕ら程度のランナーは給水ボトルを持つべきだ!!」
と言っています。フルを3時間17分という驚異のスピードで走る彼ですら、自分のことを「僕ら程度」と呼ぶのです。
フルマラソンを走るということは、それほど危険を伴い、準備しておくに越したことはない、ということです。
もしこの時、森岡さんが腰に給水ボトルを持っていたなら、給水場で水が飲めなくても、自分のボトルから飲めばよかったわけで。
初心者なのに給水ボトルを持っていなかったことが潜在的にこの事態を引き起こした、と言って過言ではないと思います。
ボトルポーチ「YURENIKUI」。マラソン大会では一番、愛用者が多いように思います。
『想定外の気温による発汗と、給水ポイントで水分補給をしなかったこと。これにより血液がドロドロの状態になり、2ヶ所の血管にできた血栓が血流を阻害し、心臓の動きを止めてしまった』
番組内では森岡さんの心停止の原因をそう説明されていました。
倒れたのは…。
12.5km地点、スタートから1時間40分後のことでした。
ボランティアスタッフがすぐに駆けつけ救急車を手配、その際の森岡さんの様子は…。
意識こそないものの、呼吸はしているように見えました。
ところがその直後にやってきた西本さんというランナーさんは偶然にもお医者さんで。
プロの目から見たその呼吸は…。
死戦期呼吸、と呼ばれるものでした。
突然倒れたものがする、しゃくれあげたような呼吸は、死戦期呼吸と呼ばれ、心肺停止直後の患者に見られる特徴。アゴは動いているが体内に酸素を取り込めていないのだそうです。
通常呼吸との違いを、知識のない一般人が見抜くのは非常に難しいとのこと。
この時点ですでに森岡さんの心臓は停止していたのでした。
西本医師は大至急、AEDの手配を依頼。同時に、心臓マッサージを開始しました。
AEDはもちろん心臓に電気ショックを与えて心肺停止状態の患者の心肺機能を復活させる道具ですが。
心肺停止後、1分が経過するにつれ、心肺機能復活の可能性は10パーセントずつ減っていく、とのこと。
つまり、心肺停止後10分経ってしまうと、もう助かる見込みはないそうです!!
心臓は停止しても、心臓内が痙攣している「心室細動」状態は約10分間続き、その心室細動状態でないとAEDは作動しないそうです。
心室細動すらなくなってしまうと、AEDは電気ショックの必要性はないと判断し、作動すらしないそうです。
西本医師ともう一人、看護師の女性ランナーの2人で心臓マッサージを行なっていましたが…。
それはかなりの重労働のため、2人で良質の心臓マッサージを長い時間行うのはかなり難しい、とのことでした。
さらに後方からやってきた男性ランナーが救助の輪に加わります。彼も医師でした。さらに2名の女性も参加、彼女たちは看護師。
これで計5名の医療関係者が救助にあたっていました。
さらに1名の男性が加わります。彼の名は谷脇さんで、救急救命士。いちばん救急の現場に慣れていらっしゃるのか、心臓マッサージをしながら周囲を見渡し、ある判断を下します。
それは現場のそばで状況を見守っていた2台の白バイ。
谷脇さんは心臓マッサージを交代してもらい、白バイ隊員に駆け寄り、
「今すぐAEDが欲しいのに、到着が遅れている。1台はゴール方向へ、もう1台はスタート方向へ走って、AEDを探してきてください!!」
と指示を出し、白バイを動かします。
さらに1名の救命士が加わり、こうして4分の間に7名の医療関係者が集まって、医療器具が全くない状況下で森岡さんの蘇生のために処置を続け…。
AEDを持って現れたのは、谷脇さんが指示した白バイのうちの1台でした。彼の判断がより良い結果をもたらせました。
番組内のAEDでは緑のボタン。作業手順を示す1という文字も入っていました。
①のボタンを押すと機械が喋り出し、
『上半身の衣服を脱がせてください』
と機械から指示がありました。
その後、
『胸が露出したら、グレーのプラスチックケースを開けて、白の粘着パッドを剥がします』
と指示が来ます。
『パッドの描かれている絵をよく見てください。グレーのケースから1枚目の白のパッドをはがしてください』
と、機械からの指示は続きます。言われた通り、パッドに描かれている絵の部分にそれぞれのパッドをしっかりと押し付けます。
『カラダから離れてください!!心電図を解析中です。』
『ショックが必要です。点滅しているオレンジのボタンを押してください』
『ショックが終了しました。119番に電話して、救急車を呼んだことを確認してください』
驚いたのは、すべての手順を機械が喋って説明してくれ、どの場所にパッドを貼るかもパッドそのものに絵で描かれているので、いざとなれば使用経験のない人間でも操作が可能である、という点でした。
電気ショック直後、谷脇さんが心臓マッサージを再開。
森岡さんに呼吸が戻ったのは、ショック後2分を経過してから、とのことでした。
救急車が到着。森岡さんは高知市内の病院へと搬送。
救助にあたったメンバーは、AEDの到着が遅かったため、後遺症の心配をされていたそうですが…。
7名ものメンバーによる、質の良い心臓マッサージが功を奏し、森岡さんは後遺症が全くない状態で回復されました。
そして今年の高知竜馬マラソンで…。
グロス 4:45:03
ネット 4:39:27
で完走されていました!!
今年67歳のはずなのに…。余裕のサブ5やん(^_^;)
ただ!!
森岡さん、今年も給水ボトルを腰に差さずに走られていたことが気になりました…。
お互い、健康に気をつけて楽しく走りましょうね!!
我が家は夫婦ともに、整理整頓が苦手。
そんな妻が、気が向いて今しがた、食器棚を整理していましたところ…。
妻:うん?
夫:ん?
妻:なんやコレ?
夫:どうした?
妻:なんか…。変なん、出てきた。
夫:なに?見せて。
夫:なっ…。なに?これ?
妻:わ…。わからん…。
夫:いっさい、日本語が書いてないやん…。
妻:そ…。そやな…。
夫:食器棚の奥から出てきた、ということは、お前がしまい込んだんやろ?何よ、これ?
妻:…。
夫:…。
妻:知らん…。
おそらくは、100%のMIEL PURAな、ABEJAだと思われます!!
で、それは何??!!(^_^;)
先週はお休みでした「陸海空 地球征服するなんて」ですが。
明日3/10は放送があるみたいで。
内容は西村アース!!
2週前はナスDの無人島での激闘でした。しかも延長する、という終わり方でしたが…。
「次回放送日は未定です」
とテロップが入っていましたね。
今週は西村アースの続きが見れるみたいで!!
前回、極寒の中をスタートさせたモンゴル編ですが。
1いいね!が0.01円だったり…。
温度計がマイナス36度を示して、牛の凍死体を見つけたり…。
そして出会った遊牧民一家にとても親切にされ、西村アースなのに感動する回になっていました。
マイナス36度でテント泊なんて、本当に可能なんでしょうか…。
明日、必見ですね!!
これは以前から頭の片隅でくすぶっていた疑問ですが…。
今回、篠山の道の上で、はっきりと疑問に思ったことがありました。
感動的な言葉としてよく使われる
「たとえわずかな可能性でも、ゼロじゃない限り、それに挑み続けるのだ!!」
的な言葉です。
なんか、あの決まり文句を出されれば、聞いてる人間は無理矢理にでも感動しなければいけない的なポジションにある言葉。
しかしながら。
あの言葉の弱点は、
「わずかな可能性」
の定義が極めてあいまいな点です。
こちらの記事でも書きました通り、
僕は30.6kmの関門を2分前で越えたにもかかわらず、その直後、立ち止まった時の足の痛みに耐えかね、心が折れ、歩いてしまいます。
やがて、たった1人で走り続ける女性の姿に心を動かされ、再び走るのですが…。
歩いたり、友人にメールを送っていたりしたのが災いし。
「関門まであと1.5km」
の看板が見えた時点で、残り時間は3分でした。
もちろん、この看板が見えるずっと前から、自分がもう関門に間に合わないことは自覚しながら走っているのですが。
この看板が見えた時、はっきりとわかりました。
絶対に間に合わない、と。
さて、ここで問題です。
冒頭の感動的な決まり文句
「たとえわずかな可能性でも、ゼロじゃない限り、それに挑み続けるのだ!!」
の件ですが。
時間を巻き戻し、この時点の僕にタイムスリップしてみましょう!!
この時、僕はどう思えばいいのでしょうか!!
残り時間はゼロではありません。だから可能性も、まだゼロではないのかもしれない。
しかしながら。
残り1.5kmを3分で走るには…。
1キロをわずか2分で走らなければなりません!!
そんなヤツ、おるかー!!(^_^;)
おったらフルマラ1時間24分やっちゅーねん!!
つまり、あの看板が見えた時点で…。
僕があの関門を超えることができる可能性は限りなくゼロに近かった、というわけです。
確かに、フルマラソン全部をキロ2分で走る必要はありません、1.5kmだけをキロ2分で走ればいいのですから。
おっ、ということは、可能性、復活かっ??!!
1キロを2分で走るということは…。
100メートルなら12秒で走ることになります。
大学生の100メートルの平均タイムは15秒程度。
つまりあの時点で、
①僕の足が大学陸上部短距離選手並みで、
②しかもそれを1.5km、走り続ける持久力がある場合のみ、
関門が突破できたことになります。
つまり、どう考えても、
あの時点で僕があの関門を超える可能性はゼロだった、と断言してもいいと思います。
「たとえわずかな可能性でも、ゼロじゃない限り、それに挑み続けるのだ!!」
このご託宣の弱点は。
可能性がゼロだった場合、もう挑まなくてもいいのか??
という点なんです。
わかっていますよ。
この論法は、
「良い子は真似をしないでね!!」
の注意書きに、
「では、悪い子はいいのか??」
とツッコむ程度の話だ、ということは。
しかしながら、僕が強調したいのは。
挑み続けるのは、可能性の問題ではなくて、
そうすることが正しいから、
だと思うのです。
あの時、彼女が何を考えていたのかはわかりません。
もしかしたらまだ間に合う、と本気で考えていたのかもしれません。
しかし、僕は、レースが終わって5日も経った今日も、この写真を見て胸が熱くなるのです。
この写真の中で、走っているのは彼女ひとり。
諦めて腰掛けている男性や、しし汁エイドに入ろうとするランナーたち。エイドを終えながら、なかなか走り出せないランナーたち。
彼女はエイドになんかまったく寄る意思がないことは、彼女とエイドとの距離を見ていただければわかるはず。
もちろん、エイドに罪はありません。時間さえあればこのエイドに寄って、しし汁をいただければ走るパワーも湧いて来るというもの。
残り時間21分、関門まで2.8km。
彼女の速度は、キロ8分30秒。
キロ6分20秒じゃないと間に合わないのです。
それでも彼女の姿が僕の心を動かすのは。
それが正しい姿だ、と思うからです。
あきらめも肝心、という人もいます。
でもそれは、会社とか人間関係とか、現実社会での話。
ここはマラソンロード。
ランナーにとっては憧れの、夢の道です。
ランナーってもともと、
真摯で、
ひたむきで、
愚かしいほど正直で。
42kmも走ろうと思う連中は、みんなそんな、愚直な人たち。
だからダメでも走り続けるその姿が。
可能性がゼロでも、ゼロさえ下回っても。
それでも走り続けるその姿こそ、
愚直なマラソンランナーの、あるべき姿なのだと思うのです。
あの時、彼女の姿を見て、僕はそれを教えられました。
それでも愚かな僕はきっと、次のマラソンを走る時も、苦痛に耐えかねて、忘れてしまうかもしれません。
あの道を走った記憶を。
だから今日も、シューズを履き換えて、走りに行こう。
忘れないように。
あの道の名前を。
36キロにあった関門を越えられなかった僕は、その目の前で応援してくれていた友人たちのもとに無事、たどり着くことができました。
ゆみさんが撮ってくれた写真(^。^)
彼らはノボリをたたみ、帰り支度をしていたので、歩いていたら間に合わないところでした。
応援のみんなは、ここから徒歩5分の距離にある城東支所の駐車場にクルマを停めています。
おかべさんという友だちが、「あたしのクルマでよかったら乗って行く?」
と言ってくれたのですが。
流石にそこまで甘えることはできません。
ここから僕はいったんスタート地点まで戻り、預けている荷物を回収しなければならず。
ゴール付近の道路はまだ交通規制が続いているはず。渋滞や複雑な通行止めが予想されます。
おかべさんの提案は嬉しかったけど、やはり収容バスに乗るのがいちばんいいだろう、と判断。おかべさんには丁寧にお礼を言って、この場で別れました。
3度目の収容バス。
気になったのは…。
前の二回(2014北海道マラソン、2017京都マラソン)はいずれもシートにバスタオルがかけられていました。乗り込んでくるランナーたちは汗まみれのはず。シートに汗や匂いがこびり付いてしまうから。
しかし篠山の収容バスのシートにはタオルがかかっていませんでした。
タオルをかけてたらそのぶんの経費がかかります。エントリー代5,800円の大会、切り詰められるものは切り詰めているんでしょう。
あとでファブリーズとかでケアされるんだろうな…。お手間かけて申し訳ございません!!
こうしてバスは到着。
これは決して、大会運営に対するクレームとかではないので悪しからず読んでくださいね。
バスで下ろされた場所から、荷物を預けた場所までの距離がけっこう遠くて…(^_^;)
一歩ずつがガクガクなわれわれDNFランナーたちは、不良品ロボットの行進みたいに約1kmを歩いて荷物を取りに行きました(^_^;)
向こうからは、完走して晴れやかな顔をしたランナーが、胸に大きな完走メダルをぶら下げて歩いてきます…。
悔しいなあ…。
荷物保管所の横で初めていただいたしし汁。
濃厚なお味噌の味が疲れたカラダに染み渡り。
お味噌の塩味なのか、流した汗の味なのか。
それとも、流した涙の塩味か。
来年、必ず完走しよう、と固く心に誓うのでした。
さて。
僕は極度の方向音痴です。
駅へと向かうバス乗り場の場所など、まったくわかりません。
ボランティアのウエアを着たおじさんに尋ねると、とても丁寧に教えてくださり。
バカな僕でもすぐにバス停にたどり着きました。
スタート前に食べたおにぎりとパン、そしてマラソン中に摂取したスポーツようかんとエネルギージェル以外は何も食べていません。
ハラヘッタ…
でも、バス待ちの列が長く、サイフもカバンの奥に押し込んだので、バスが駅に着いてから何か食べよう、と判断しました。
このバス停にもボラのおじさんが数名いらして。バスの運転手とやりとりしながらテキパキと乗客をさばいてくださり、列の長さの割には、30分も待たずに乗り込むことができました。
が…。
ここからがタイヘンでした…。
バスが、まったく進まないのです…。
前方が、大渋滞…。
僕はなんとか座れていたのですが、立ってるランナーたちにはかなりつらい時間だったのでは、と思います。
通常なら、篠山口の駅まで15分程度の距離のはずが。
1時間経っても到着の見込みがなく。
前の道路が長い直線なので、乗客からも状況が確認しやすく。
ずっと伸びている車列は、一向に改善する様子はありません。
10分で5メートル、進むか進まないか。
1時間が過ぎる頃、車内がざわつき始めました…。
「去年はこんなじゃなかった」「とても◯時の特急に間に合わない」「歩いた方が早いか?」
運転手さんも無線で「まったく動かない」旨をどこかに報告されています。
そしてついに…。
ある女性が、
「ここで降ろしてもらえますか?」
と運転手さんに申し出ました。
運転手さんも状況を鑑み、完全に停車状態であるその場所でドアを開け、女性を下ろすことに。
すると、半数以上の乗客が、降車の意思を示しました。
僕もシートから立ち上がり、バスを降りました。
降車した乗客についていけば駅までつくのは確実でしょうが、念のため、スマホで確認すると…。
降車地点から篠山口駅までは、
徒歩で21分…。
とナビされました(^_^;)
この痛む足で、21分歩くのか…(^_^;)
バスから降り、駅へと向かうランナーたち…(^_^;)
この道はがら空きなのに、なぜ一本入っただけのバス道はあんなに激混みなんだろう…。
その代わり、篠山の美しい森の脇を歩くことができました。
30分くらい歩いて、やっと到着…(^_^;)
とにかくハラが減った、何か食べよう。
と思ったのですが、時刻表を確認すると…。
あと数分で電車が出る…。
僕は食べ物を買うのを諦め、改札を通りました。
なんとか座れた座席は、直角の補助シート…。
ほとんどの乗客は普通席に座れていたので、ハズレ感満載の中…。
一時間以上、直角シートに座るのは、痛む足にとってはかなりの苦痛でした…(T ^ T)
しかも食べ物が何もないので…。
カバンを漁って、汗だくウエアをビニールから取り出し、ポケットに入っていたスポーツようかんを、ムシャムシャ食べながら…。
来年は必ず完走するぞ!!
と再び、固く心に誓うのでした…。
篠山マラソンの前日、いきなり熱を出した我が妻・お方さま。
ここ数日、ハードな仕事内容がたたったようでした。
花粉症だろうと思っていたので、直ぐに耳鼻咽喉科に電話。
帰ってきた答えは、
「108人待ちですけど…」
煩悩の数か!!
うちの嫁はん、除夜の鐘か!!
と余計なツッコミを入れそうになりましたが…。
その病院は、電話で予約し、順番が近づくと電話をしてくれるシステム。家で待ってればいいのですが…。
結局、3時間以上経ってやっと電話が来て病院へ行き、診察してもらいました。
念のため、インフルエンザのテストもしましたが、陰性でした。
でも明日の篠山の応援に連れてはいけません。夜には熱も下がりましたが、病み上がりを吹きっさらしの応援なんかさせたら風邪がぶり返してしまいます。
当初の予定ではお方さまはスタート地点まで僕をクルマで送って、その後、応援地点へ移動する手はずでした。
僕は爺ぃこと木上さんが教えてくれた「篠山ABCマラソン号」に乗って、電車で篠山口まで行くことにしました。
篠山ABCマラソン号に乗ったのは正解でした。臨時列車だったためか、乗客も少なく、目的地までゆっくりと座ることができ。
また車内にトイレもあるので、マラソン前のトイレ問題もゆっくりと解決することができました。
篠山口駅から、スタート会場がある二階町までのシャトルバスも運転されていて。
しかしこれが長蛇の列。
でも、ここにもボランティアの方がいて次々と列を捌かれていたので、思ったほど時間はかからずにバスに乗れました。
驚いたのはスタートです。
篠山マラソンの制限時間は5時間だと勘違いしていたのですが、正確にはそうではなく。
陸連登録者は5時間20分。
未登録者は5時間10分なのでした。
登録者が先に号砲が鳴り、その10分後に未登録者グループの号砲が鳴るのですが。
未登録者の号砲がなってもスタート地点までなかなか進まず!!
スタート地点を超えることができたのは、号砲がなって10分以上経ってから。
5時間10分、道マラより10分のアドバンテージがある、と思っていたら、スタート混雑でもうチャラになっていました!!(^_^;)
素朴な、田舎のマラソンロード。
ド派手な衣装とかないけど、心のこもった応援!!
今日のため、一生懸命、練習してくれたんやね。ありがとう!!
20秒前に潜り抜けた関門を超えると、我らRUN友応援隊。隊長のアンディは、幾つものマラソン大会を応援して来た、応援のプロ。
この日のゲストランナー・5000m北京オリンピック代表の小林祐梨子選手から、「最高の応援!!」とお墨付きをもらった、超ハイテンションな応援団。
全ての関門を1分前や20秒前で切り抜けていた僕は、名物・しし汁を味わう時間すらなく。
こちらの記事でご説明した通り、関門アウトが確定した最後のしし汁エイドもすっ飛ばしていきました。
ちなみにしし汁は、荷物預かりの横で振舞われてたヤツを呼ばれました。疲れた体にしみたなあ!!
足の痛みに耐えかねてDNFした今回の篠山マラソンでしたが…。
本当の地獄は、ここからスタートしたのでした…。(T ^ T)
(「篠山マラソン外伝3」に続く)