食事を誘いに来た同僚が、“科学者”の顔を見るなり絶句した。
「ど、どうした?」
同僚の声に、“科学者”はそっちに目を移した。「えっ?」
「な…泣いているのか?」
「えっ?」
“科学者”は自分の目尻からかなりの涙が流れ落ちていることに気づいた。
「い、いや、違うんだ…。ホラ、徹夜が続いてさあ!」
ティッシュで目尻を抑えながら言った。
「昼メシだろ?先、行っといて!」
同僚は真剣に彼の身を案じていた。「またカップラーメンか?ちゃんとしたもの食べないと!」
「ああ、わかってる。最近、脂肪の燃焼効率が上昇したと見えて、腹が減らないんだ」
「同じことをこないだ退職したマイクも言っていた。あまり追い込んじゃダメだって」
「マイクさん?ハハハ、彼はポテトチップを食べ過ぎてたんだよ」
「そうだよ、マイクさんは、脂肪の燃焼なんか関係なく、ストレスからくるノイローゼだって噂だ。あんたも、デリケートなんだから、同じことにならないかと…」
「わかったよ、ありがとう!晩めしはいいのを食うよ!」
同僚は手を振って出て言った。
彼はいいヤツだ。心配させるのは本意ではないが、休日出勤までして、まさか他人のマラソンが気になるとは言えない。今度、飲みにでも誘おう。
“科学者”は再びパソコンの画面に戻った。
点が、止まっている!ちくしょう、今度はなんだ!
時計を見た。13時9分。関門か?関門に引っかかったのか?
「さが桜マラソン」公式ホームページから、関門時間を確認する。いや、関門ではない。彼らはまだ時間がある。ぼくの忠告に従い、旦那さんは前半に貯金を作っていた。だからまだ時間はある。
ならなぜ止まった?
他のトラブルが起こったのか?ちょうど30km、ここでそんなことになればもう絶望的だ。
公式ホームページに目をやる。30km地点に何がある…
わかった!救護所だ!彼らは救護所に入ったんだ!
「余計なことはするな!」
攣った足にマッサージでもしようものなら、余計に悪化させる可能性が高い。冷やして、ストレッチ程度だ。
このペースなら、最後の関門が鬼門だ。間に合わない可能性が出てくる。救護所なんかで時間を使っている場合ではない。
「早く出なさい!」“科学者”は叫んだ。「早く!」
「ド畜生がぁぁぁぁーー!!」
思うように動かない右足にパンチを入れながら、お方さまが叫んだ。河内の女だ。口は悪い。なんせ、
「あなた」
と言う意味の言葉として、
「ワレ」
と言う、極めて攻撃的な語感を持つ言葉を発明した地方の出身だ。関西では比較的穏やかな奈良県出身の僕としては、お下品な女性だなあ、と思った。他のランナーから、知り合い?って後ろ指を指されるのがイヤだったから、ちょっと離れて走った。
最大の敵は、暑さだと思っていた。お方さまは子供のころから、外で遊んだ経験がまったくなく、汗腺が発達していないと見えて、汗をほとんどかかない体質をしている。
僕はトレラン用リュックを背負い、長時間、保冷状態が続くボトル2本に、スタート直前に購入した氷を詰めた。また、ホテルに頼んで前日から保冷剤を冷凍してもらい、保冷バッグに入れ、濡れたおしぼりを入れた。残った氷も同じ保冷バッグに入れた。
エネルギージェルなどは必要なだけ、本人に持たせていたが、他のものが食べたくなった時のためにコンビニおにぎりとクリームパンを入れておいた。
強力なエアソロ、アイシング用のバンデージ、当日にさえみんが貸してくれた、衣服にかけて体温を冷やすスプレー、等も持った。
そいつを背負うと、肩にどっしりときた。左に重心が傾いているように感じた。こいつが僕の責任だ。お方さまを、こんな世界に引きずり込んでしまった、これが僕の責任だ。
健康のためにランニングを始めたお方さま。でも、いま、眉間にしわを寄せて苦痛に耐えながら、あと何十キロ、片足を引きずって走ろうとしているこれは、本当に健康にいいのか?
人は、10キロくらいを定期的に走っている方が、絶対に健康にいいはずだ。42.195キロなんて、人間の限界を越えている。どちらかと言えば、不健康な部類ではないだろうか?
しかし一方で、その目標があればこそ、まったく走れなかったお方さまが、ここまで走れるようになったのだ。運動など、女のすることではない、と思っていたお方さまが。
結婚直後は、ほぼ月に一度は腰痛を訴え、同じ頻度で首痛を訴えていた。ひどい時は、腰痛が治った次の日から首痛になり、ほぼ毎日、どこかの骨格に異常をきたしていた。
毎シーズン、深刻な風邪をひいていた。胆嚢にある、MRIにさえ写らない石は、不定期に激しい痛みをもたらしていた。特にこの症状は、楽しいはずの旅行に行った際に発症した。黒川温泉に泊まった時、思い切ってとても高価な食事を予約していたが、胆嚢の痛みにもんどりうって、一口も食べられなかった。
お方さまは、カラダがとても弱かった。
僕はなんとかして、お方さまに運動をしてほしかった。産まれてから一度も運動らしい運動をしたことがなく、女性は紫外線を避け、肌を綺麗に保つよう教育されてきたため、ドラキュラみたいな日常を送っていたお方さまに、もうそんなことは必要なく、何よりも自分のカラダは自分で守れるよう、体力をつけてほしかった。
でも、ランニングは僕の趣味だ。自分の趣味を、嫌がるお方さまに押し付けるのは本意ではない。アウトドア嫌いのお方さまのために、いろんな提案をした。
エアロバイク、ビリーズブートキャンプ(懐かしっ!)、トレーニングジムでの水泳、室内での縄跳び、エトセトラエトセトラ…。
でも、何一つ長続きはせず、お方さまのカラダは依然して弱いままだった。
2年前、さが桜マラソンを走った時は、お方さまは1人で応援してくれた。この時は、カニの仮装で有名なLさんもフルマラソンを走られた。その数ヶ月後、Lさんは病に倒れ、帰らぬ人となった。
去年、僕が再びさが桜マラソンを走ろうと思ったのは、なによりも、Lさんの弔いの意味だった。その時、お方さまをファンランで走らせる、というアイデアを思いついた。
Lさんが走った年のさが桜マラソンは、どちらかと言えば寒かった。そのため、暑さに弱いお方さまでも大丈夫だと思った。10キロに満たないファンランだ、少しずつ練習したら、何とかなるだろう。
この、目標が決まったことで、お方さまのモチベーションが俄然、上昇した。僕とお方さまの休みが合う、月に2日か3日だけであったが、少しずつ練習を始めた。
キロ9分で1.5kmが走れなかったお方さまが、3km、5kmと走れるようになった。10kmを初めて走れた日のことはハッキリと覚えている。走り終えた時、お方さまは小さな声で、
「10km走れた」
と呟いた。ほんの少し、誇らしげに。
そして去年のさが桜マラソン。100%の雨予報が、快晴となった。10kmは練習で何度も走っていたので、問題なく完走した。
レースという目標があれば、お方さまは練習する!これが分かったので、北海道マラソンのファンランにエントリーした。8月の北海道マラソン、暑さに弱いお方さまは注意が必要だ。真夏の大阪城で二人で練習しながら、かけ水で体外から冷却することで完走できる道を見つけた。
そして、三たびのさが桜マラソン。今回もお方さまはファンランにエントリーする予定が、アッと言う間にファンランが定員になり、フルマラソンしか残っていなかった。勢いで、フルマラソンをエントリー!!
ここで、ドクが登場する。月間走行距離50km以下のお方さまが、どうすれば半年後、フルマラソンを完走できるか。ドクは、怠け者でサボってばかりのお方さまの性格まで考慮した、最低限の練習量で最大限の効果を発揮する練習メニュー作りに着手した。まず最初は、踏み台昇降運動10回、からスタートしたのだ。
それから少しずつ、練習量が増えて行ったが、走行距離では50km前後であった。最低限の練習量であったため、お方さまもイヤにならず続けることができた。
やがてお方さまは、メニューのことばかり考えるようになってきた。メニューをこなす時間を捻出するため、大嫌いな早起きまでして、朝ランをするまでになってきた。
最後の大きな練習は、4時間ハイキングであった。30km走は、筋肉や靭帯への負担が大きいことを懸念した、ドクなりのメニューであった。高さ400メートルの信貴山を2往復するハイキングとなったが、お方さまは笑顔でこなした。
僕たちは気がついた。
もう何年も、お方さまが腰痛を訴えていないことを。
もう何年も、首の痛みがないことを。
胆嚢の石は、未だにその存在をアピールすることはあったが、食べ物にも注意を配り、もんどりうつほどの痛みはもうなかった。
風邪も、まったくひかなくなっていた。
残り、7km。
「間に合う?!間に合う?!」
とお方さまが聞いた。ガーミンはキロ10分強を表示し、時刻は14時05分であると告げていた。のこり1時間25分。85分をキロ10分で7kmだと間に合う。
関門はまだあと二つ残っていたが、前半の貯金はまだ食いつぶしきってはいなかった。前半貯金を提案したドクの意見に、まさに我々は救われていた。
「余裕で間に合うよ」
と僕は言った。だが、それはもう救護所やトイレに行かないことを前提とした話で、それでもけっこうタイトな時間割だった。でも、いまさらネガティヴな話などしてどうなる?このとき実は、僕自身がトイレに行きたかったのだが、最後までもつかどうか自らの膀胱をスキャンした結果、もつ、と判断した。万一もたなかったら、ランションをやってみよう、と決意した。
「ホンマに?!このペースで間に合うの?!」
「うん、余裕で間に合うよ!」
お方さまは、道の右側がやや下がった形状になっている部分を走り、少しでも足の負担を軽減させていた。この時間帯にあたりにいるランナーたちはほぼ全員が歩いていたが、その歩きランナーさえ、足を引きずりながら走るお方さまは、なかなか抜き去れないペースでしか走れない。
37km地点、嘉瀬川沿いの最後の桜並木に入った。満開状態の桜並木だ!だがそれさえ、目にしている余裕はない。
でもお方さまはここを覚えていた。去年、ファンラン完走後、この川沿いで応援していたのだ。
「あと5kmやで!家から公園までの、ユルユル練習の距離しか残ってないで!」
僕は言ったが、こんな比較は何の意味もないことはランナーならみんな知っている。37km走った後の5kmは、ただの5kmとはまったく違う5kmなのだ。
お方さまは走り、立ち止まり、また走り、の繰り返しになっていた。
1kmが長い。それでも、確実にゴールは見えてきた。
40km地点、桜のトンネルの中を、ものすごい数の応援者たちが、面白い格好をしてランナーたちを励ましながら、必死に応援してくれている!毎年、僕はこの場所が好きだ。今年の応援は、特に力が入っている!
ありがとう、皆さん!最後の、最後の関門をくぐり抜ける力を、僕たちにください!!
最後の関門が見えてこない!ガーミンの距離計では、もう到達しているはずなのに!
「ちょっと関門見てくる」
僕は消耗しきっているお方さまに告げ、ひとりペースを上げた。もう時間がない。
あった!もう、すぐそばまで来ていた!
「第9関門 佐賀上下水道前 40.5km 15時10分閉鎖」
時間はまだ、15時になったばかりだ!僕はその線を越え、振り向いた。お方さまの姿が見える。
「ここやで!ここが、最後の関門!」
関係ない他のランナーたちも、僕のこの声に顔をあげ、嬉しそうに笑っていた。
お方さまは僕の姿を見て、少しペースを上げた!そして今!
最後の関門を越えた!もう間違いなくゴールできる!
それでもお方さまの足は走りきることができなくなっていた。41km地点で、お方さまの足は止まった。
そのすきに、僕は写真を撮り、FBにアップした。きっと、ずっと気にしてくれている友達がいるはずだ。
この写真に、たくさんの友達が応援コメントをくれた。
「歩こう、止まらず進もう」
実は、走るよりも歩いた方が足は痛い、とお方さまから聞いていた。が、止まるわけにはいかなかった。もうあまり時間はなかった。
そしてついに、「残り1km」の看板が。
「よし、最後の1kmや、走ろう!」
「ハイ!」
空元気かも知れないが、大きな声でお方さまは答えた。
そしてついに!ついに佐賀県陸上競技場の敷地内に戻ってきた!もう数100メートルだ!
「池田さん!池田さん!」
声が聞こえた。榊原さんが、ニコニコ笑いながら沿道に立っていた。
確かに数ヶ月前、榊原さんは、「初マラソンって記念ですから、僕がゴールシーンを撮影してあげましょう」と言ってくれていた。が、サブ4ランナーさんだ。2時間以上、ゴール地点で待つなんて申し訳ない。きっと、リップサービス程度におっしゃってたんだ、と、その程度に解釈しておいた。
その榊原さんが、本当に待っていてくれた!約束どおり、自分がゴールしてから2時間以上も、ここで待っていてくれたのだ!
榊原さんが僕たちの写真を撮ってくれて、お礼を言って、わずか数10メートルで今度は
「麗子さん!麗子さん!」
さとじゅんが待っていてくれた!さとじゅんも1時間以上は待っていてくれたはずだ!
▼この直後、さとじゅんが投稿してくれたフェイスブック。
そして最後の100メートル、トラックに入った時、うさぎの耳をかぶったままのさえみんがいた!
▼この時、さえみんが撮影してくれた写真。なんで手なんか繋いだんだろう?
みんなが、待っていてくれた!
自分の足が攣って走れずにいても、河内女の意地で1滴の涙も見せなかったお方さまも、みんなが待っていてくれたこの状況には感極まっていた。泣き顔になっていた。
▼鬼の目にも涙。榊原さんが写してくれた写真。2時間以上、待ってくれた榊原さんに感激し、泣いている。
そして、ついにゴールした!!
ゴールしたら、福士選手の名台詞、
「リオ確定だべ!」
を叫ぶ、と名古屋ウィメンズの打ち上げで皆に約束していたので、僕はその動画を撮影してアップした。すると直後に、
「(滑舌が悪く)何と言っているのか分からない!」
とクレームが入った。もう少し明瞭に発音させるべきでした。プロデューサーとして反省しきりです。
「よーがんばったね!」抱き合いながら僕が言った。
「うん、地獄やったわ!」お方さまが言った。
「なんでそんなに頑張ったん?」と僕は聞いた。
お方さまは少し考えた後、ドクの本名を口にして、
「あの人に、褒められたかったからや」
ずっと、2人で走ってきた。
でも本当は、2人ではなかったのだ。
半年以上、ドクは、細かいメニューを作成し、消化状況を気にしながら、僕が送る動画をチェックし、改善策をまたメニューに組み込んだ。そのドクは、感極まって、前日からもう泣いていたらしい。
フルマラソン対策で走ったハーフマラソンには、おかべさん、うえね氏、福島さんが応援にきてくれた。
暑さ対策を質問したら、植ちゃんをはじめ、たくさんの人がアイデアを出してくれた。
前日、サプリが買えそうな博多の店を尋ねたら、たくさんの人が教えてくれた。さえみんは、自分が買ってきてやる、とまで言ってくれた。
飛行機や宿を取るのが苦手な僕に、オスカルくんやさとじゅんがアドバイスをくれた。
ウッチーがくれたお守りは、2人とも、身につけて走った。
帰ってこれるかわからないペースで進む我々を、榊原さん、さえみん、さとじゅん、みんなが待っていてくれた。とっくに電車や、飛行機にさえ、乗り込む時間があったのに。
すべての人のすべてのアイデア、すべてのアドバイス、すべての願いが、小さな歯車になり、そしてすべてがあの日、噛み合った。
バカな僕が思いもしなかった、足が攣るという事態でさえ、ガッチリと噛み合った歯車を狂わせることはできなかった。
我々は、ゴールすべくしてゴールしたのだ。ただそれは、決して我々だけの力ではなく、すべての人に助けられた、その結果なのだ。
6時間18分27秒。制限時間11分33秒前だった。
応援していただいた皆さん、本当にどうもありがとうございました。
皆さんのおかげで、お方さまはゴールすることができました。
これからも、夫婦で少しずつ、健康のために走って行こうと思います。今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いします。
そして最後に。
去年は、100%の雨予報が、雨が嫌いな僕のために快晴になりました。
今年は、最高気温22度、湿度96%、普通のランナーでさえ熱中症に注意しなければいけない予報が、暑さに弱いお方さまでさえ問題なく走れる気候になりました。
たんに、佐賀の気象予報士が予報ベタなだけ?そんなことはないでしょう、気象予報のノウハウはきっと、佐賀も大阪も東京も、同じはず。
では、一体なぜ、気候が毎年、これほど僕たちに有利に変わるんでしょう?
Lさんの魂は、日本中にあり、まだここにもあって、ずっと僕たちを見守ってくれていたように思います。
同僚が再び入って来た。「ドイツ土産のチョコレートらしい。あんたも食うかい?」
“科学者”はパソコンのブラウザを閉じながら、笑いながら泣いている。同僚はゾッとした。何年も前に、似た表情をして、頭がおかしくなった友人がいたからだ。「あんた!大丈夫かい?!」
“科学者”は笑い泣きながら言った。
「もちろん大丈夫。半年の研究の成果がたった今、確認されたんだ」
「そ、…そうかい。…研究は、成功したのかい?」
「そうだな」と“科学者”は少し考えながら言った。「まだまだ改善の余地はあるが…」
同僚からチョコレートをもらいながら、流れる涙をぬぐいもせずに、彼は言った。
「とにかく、心から褒めてあげたいね」
(完)