僕は下戸(げこ)である。
下戸とはいうまでもなく、アルコールを受け付けない体質をした人間のことだ。
対義語は「上戸」(じょうご)だ。「笑い上戸」は元々は、「酒を飲むとよく笑う」という意味だ。
さて、この下戸にも、レベルがあることを、僕は社会人になって知った。
僕の下戸レベルは中程度だ。飲めないことはない。
中には、アルコールのニオイだけで頭痛がする、という重篤な下戸も存在する。
下戸飲酒タイムライン
飲んでしまった場合、僕の体内ではどんな状況が生まれているのか。コップ一杯のビールを飲んだとして、順を追ってみていこう。
飲酒後約3分…顔が真っ赤になり、パンパンに腫れ上がった感触になる。脳への血流が増えたことを体感する。
飲酒後約5分…心拍数が異常に上がる。自らの鼓動が聞こえるばかりか、鼓動による胸部の"揺れ"さえ感じられるようになる。
飲酒後約7分…脳全体が、白い綿毛に覆われたようになる。思考力が低下し、考えることが億劫になってくる。視覚も聴覚も徐々に麻痺してくる。
飲酒後約10分…こめかみ近辺の血流が濁流のようになる。その血圧で、メガネのこめかみ部分が破壊されるのではないかと危惧するようになる。脳の内部では、お寺の鐘がガンガンと打ち鳴らされているかのごとく、轟音と痛みを伴っている。
飲酒後約15分…麻痺は全身に回る。四肢が真っ赤になってくる。脳は、秘孔を突かれて破裂寸前の人体のように、部分部分で膨れ上がってドクンドクンと脈を打つ、といった状態を繰り返す。膨張し、破裂した部分はドロドロと溶解を始める。
飲酒後約20分…心拍数が上昇を続けているので、常時の10倍近いエネルギーで心臓を鼓動させているため、激しい疲労を感じ始める。10km近く走った疲労レベル。
飲酒後約25分…最初に麻痺が現れた顔面は、すでに解毒できないアルコールが充満している。強烈な熱を放ち、顔面にある神経がプツプツと焼き切れている。眼球近辺の神経にその症状は顕著に表れ、まぶたを調整する機能が効かなくなる。
飲酒後約27分…脳の溶解が進み、沸騰したクリームシチューのようになる。
飲酒後約30分…気絶したように寝る。
わずかコップ一杯のビールで、このようになるのだ。
学生時代の訓練
僕が大学生の頃は、「酒とは、訓練して強くなるもの」という考え方があった。そのため僕は夜毎、缶ビールの350mlを飲んで寝ていた。当時、アサヒのスーパードライと同時期に発売された「スーパーモルツ」というビールが、缶が純白で綺麗なデザインだったので、味もわからずそればかり飲んでいた。(スーパードライは今も売れ続けるベストセラー商品だが、そのスーパーモルツはとっくに販売終了になっていることからわかる通り、僕がいかに味もわからず飲んでいたかがご理解いただけると思う)
このビール訓練、いつも寝る前に行っていたので、結局は、下戸が酔っ払って寝ているだけなのであった。それでも僕は、少しずつ酒が飲めるようになっている、と信じていたのであった。
アルコールを分解できない人間
やがて、この世には、体質的にアルコールを分解できない人間がいる、ということを知るようになる。
いくら訓練しても、コップ一杯のビールさえ受け付けない自覚があったので、自分はこの種の人間に違いない、と確信する。
学生時代、ビール訓練に費やした費用は全て無駄であったと知った瞬間であった。
下戸で悪いこと
人生の一部を損している自覚
アルコール類をうまそうに飲んでいる人たちを見ると、いろんな意味で羨ましい。
飲めない僕でも、ビール工場に連行されて一口だけのむ、できたてビールの旨さ、新鮮さはわかる。酒飲みにとってはあの味は至福であろう。
その種の、「同じアルコールなのに、いろんな味がある」という経験を、酒飲みたちはしているのだ。
例えば酒飲みたちは、
「この料理には、う〜ん、"麦"は違うな。"芋"だな」
と、我々から聞けばアホみたいな会話をしたり顔でしている。
「魚には"白"、肉には"赤"だね」
などとのたまうヤカラもいる。
こっちからしたら、なんのことかサッパリわからぬ。でもきっと、味の違いがあるのだろう。その経験を、下戸たちはできない。
焼酎には焼酎の良さ、ワインにはワインの良さ、がそれぞれあるのだろう。酒飲みたちは日々、その味の違いを楽しんでいるのだ。
我々には永遠にできない楽しみだ。
「酔う」とは何か
僕にとって「酔う」とは、前述の30分間の体調の変化をいう。行き着く先は「気絶寝」と呼んでいる最終段階だ。
ところが酒飲みたちは違う。
明らかに、「酔う」という体調のフェーズが存在する。分かりやすくいうと、コントなどで頭にネクタイを巻き、顔が赤くなりながら、千鳥足でろれつがうまく回っていない状態だ。
あのフェーズが、我々にはない。
フワフワした体調で、発言や行動になんの責任もないまま、しばらく生きることを許される状態だ。
あの状態はなんなのだ。
彼らに、あの状態である認識はあるのか。
「酒の上のフラチ」などという言葉が存在する。あからさまに礼を失する態度を取っても、「酒の上のフラチ」という言葉で互いに許し合えたりする。
あれは一体どういうことなのだ。
われわれ下戸は密かに勘ぐっている。おそらく酒飲みたちは、われわれ下戸の知らないところでなんらかの会議を開いているに違いない、と。
「オレも酔っ払ったとき、ヘンなことをしてしまうから、許してね。その代わり、キミがしたことも許してあげるから」
という内容の会議を開き、どのレベルまで許しあえるか、という議題を話し合ってるに違いないのだ。
酔っ払いのシナプス
その昔、「進め!電波少年」という番組で、「ヨーロッパ横断ヒッチハイクの旅」という人気企画があった。僕は大好きで毎週見ていた。
猿岩石の一人、有吉が酒が好きで、出会ったばかりの異国の人たちを酒を飲んで、あっという間に仲良くなっている場面を見ていると、酔っ払い同士の連帯感の強さは言葉の壁を超えているなあ、という思いを強く持った。
酔っ払うことで精神の壁が崩壊した人間からは、不思議なシナプスが伸び出てきて、別の酔っ払いが伸ばしたシナプスとあっという間に絡みつく。
「私も下戸だが、飲み会ではジュースを飲み、みんなと楽しくやっていける!」という人もいるだろうが、この不思議なシナプスだけは、下戸には出せない。
言語を超えた、酔っ払いのシナプス。この結びつきは、下戸の、いや、人知を超えた結びつきなのだ。
下戸で良かったこと
悪酔いの醜態
酒を飲むと、性格が豹変する人間もいる。あの手の人間を見ていると、人間の醜さを見てしまった気になり、いい気分ではない。
理性的で、要点だけしか話さないタイプの人が、酔うと粘着質で説教くさい人格に変身した時は困った。よもやそんな変身をするとは思わなかったので、彼の横に座ってしまい、2時間の間、延々と説教され続けた。
彼の変身はどうやら有名だったようで、彼の隣は毎回「犠牲者席」として嫌がられているらしかった。彼はというと、毎回、喜んで酒の席に赴くのであった。おそらくは、日々の鬱憤が酒席で晴れるので楽しいのであろう。影でそんなことを言われているとも知らず 。
飲酒による性格の変化は、下戸にはありえない。あまりにも醜く性格が変わる人を目の当たりにした時は、「下戸で良かった」と思った。
アル中
また、いわゆる「アル中」になることはない。アメリカ映画によく出てくる「断酒会」の存在を見ていても、アメリカでのアルコール依存症の割合はかなりのものなんだな、と思わざるをえない。
「お酒を飲んでいない時は、あんな人じゃないんです!」とよくセリフで聞くが、ジキルとハイドクラスの人格の変化を起こす人もいる。
下戸には全く心配する必要のない話だ。
下戸が最も困ること
総じて、アルコールを分解できないこの体質に生まれたことについて、決して嬉しいとは思っていない。できることならみんなと楽しく酒を酌み交わし、不思議なシナプスを伸ばして、下戸では繋がれない不思議なつながりを経験したいと思っている。
しかし、できないものは仕方がない。
ただ、われわれも残念に思っていることは理解していただきたい。
下戸にとって、最も困るのは、
「無理に酒を勧められる」
という状況だ。
断ると無粋に思われてしまうが、オレの体はオマエのカラダとは違うのだ、飲むと死ぬほど鼓動するのだ、ということを、その場では言えない。うまく断っても、何度もなんどもすすめるヤカラ、しまいには、怒り出すヤカラ。
でも飲めないのだ。いい加減にわかってくれ。
そして飲めないことを、誰よりも残念に思っている。
ということをお分かりいただきたい。