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「激レアさんを連れて来た」甲子園に7回出て、全部初戦負けした元監督。甲子園でだけ、勝てなかった名監督の半生とは…。

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今回の激レアさんは…。

 

「弱小野球部を強豪校に育て上げ何度も甲子園に行ったけれでも1回も勝てずあらゆる負け方をコンプリートした監督」

 

のサワダさん。

 

ニコリともしない風貌に若林は

 

「コワイ方ですか?」

 

と戦々恐々。

 

少し板東英二に似ている風貌は、やはり野球人だからでしょうか。

 

甲子園に出場できる確率とは。

 

去年のデータで、日本高等学校野球連盟に加盟しているのは

 

3,989校。

 

その中で甲子園に行けるのは

 

49校。

 

つまり…。

 

約1.2%の狭き門。

 

サワダさんはそこに7回も生徒たちを連れて行っている、まさに名監督と呼んで差し支えないと思います。

 

サワダ監督のプロフィール

 

プロ野球選手をこれまで40名以上輩出している名門

 

東北福祉大学野球部(宮城県)出身。 

 

二つ下には大魔神佐々木、四つ下には阪神の金本。

 

1991年25歳で岩手県私立盛岡大学付属高校通称「モリフ」野球部監督に就任。

 

今でこそ名門野球部ですが当時は…。

 

部員はたった9人。

 

グラウンドはサッカー部と共用。

 

道具は、バット2本ボール20個しかありませんでした。

 

予算がないため、用品代、遠征費はサワダ先生の自腹。

 

遠征に行くバスの免許を5回受験してやっと合格…。

 

総額200万程度は、親の遺産から捻出し野球部に捧げていました。

 

鬼になって練習

 

超至近距離ノック練習法

 

通常は30メートル離れて行うノックをわずか10メートルの距離から行う、と言うもの。

 

素手捕球練習法

 

ノックの打球を素手で捕球させる、骨折の危険を伴う危険な練習法。

 

このようなスパルタ練習により、モリフはわずか1年で、

 

県大会で準優勝

 

と言う強豪校に成長、そして、監督就任5年目…。

 

1995年甲子園初出場

 

と言う快挙を成し遂げます!!

 

甲子園1回目 95年夏 高知商(高知)

 

この年のモリフは戦力が豊富で。

 

・のちに西武ライオンズの入団することになる、エースピッチャー小石澤くん。 

 

・変化球キレッキレ 四日市くん

 

・頭脳派キャッチャー関口くん

 

など、素晴らしいメンバーで挑むことになった甲子園初戦。

 

サワダさんの勘違い

 

1995年、つまり平成7年大会は、夏の高校野球の第77回大会

 

サワダさんはこの年に結婚

 

おめでたい7という数字が並ぶ年に結婚した自分に…。

 

「これ、オレのための甲子園なんじゃね?」

 

と思っちゃったそうです。

 

弘中アナ:でもお気づきかもしれませんが、平成7年って、日本国民みんなに言えますし。77回大会も出場校みんなのもの。

 

若林:うん、そうだそうだ。

 

弘中アナ:サワダさん、実は…。

 

新婚で浮かれているだけの人

 

だったんですね。

 

若林:(苦笑)ちょっと(サワダさんへの)切り方が深いかな弘中ちゃん??大丈夫かな??

 

弘中アナ:大丈夫。

 

若林:自前の「7」がないもんね。

 

サワダさん、浮かれていたせいか、全く準備せずヌルッと初戦に臨みました。

 

番組で当時を振り返り、

 

舞い上がっていました。自分の力を過信しすぎていました。勝つためのJK不足だったな。

 

と反省されていました。

 

JKとは?

 

と当然、スタジオから来た質問に、サワダさんは…。

 

J(準備)K(確認)です。

 

と、微妙な空気をおつくりになられるサワダさん…。

 

試合は…。

 

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不調の小石澤くん、初回に2失点。肩を落としてベンチに帰ってきた小石澤くんにサワダ監督のとった態度は…。

 

ダンマリを決め込む。

 

でした。

 

その裏3点を取るも、また小石澤くんが2失点。肩を落としてベンチの戻る小石澤くんに、サワダ監督は…。 

 

再びダンマリを決め込む。

 

若林:ダンマリっておかしいじゃない!!「励ます」か「怒る」か(するべきだろう)!!

 

弘中アナ:なぜかというと、実はサワダさん。いざ試合が始まると、「ガチガチに緊張して声が出なかった」んです!!

 

若林:ええ、理由それ?怒ってるんだと思ってた。緊張して生徒を励ませなくなる?

 

サワダさん:地方大会と甲子園の舞台は、ぜんぜん違うんです。

 

若林:…。めっちゃ大舞台に弱いじゃないですか…。

 

サワダさんの緊張は試合後も続きます。試合後の監督インタビューでサワダ監督、言ってはならないヒトコトを言ってしまいます!!それは…。

 

インタビューアーから、

 

「試合の感想は?」

 

と聞かれた時のこと。

 

理想のコメントは、

 

選手はよくやってくれた。敗因は自分。

 

と答えるのがいいでしょう。

 

ところがサワダ監督、こう答えてしまいます。

 

小石澤が最悪の出来。最後までダメだった。

 

と、まるでプロ野球の監督みたいに答えてしまいました…。

 

小石澤くんは…。

 

当時を振り返り、当の本人・小石澤くんはこう述べられています。

 

サワダ先生は素晴らしい人だと思います。この人のために頑張ろう、と思う瞬間がある先生。

 

(だけど)試合後のインタビューを今、考えると、あんな言葉、言わなくてもいいのかな、と。自分が指導者なら言わないでしょうね。

 

 

決して恨んでるわけではないでしょうが、やや当惑気味に述懐されていました。

 

サワダさん本人でさえ、

 

あの言葉は全国の高校野球ファンを敵に回しました。

 

と、人生最大の失言であったことをお認めになられていました。

 

この敗戦、名付けて

 

「新婚浮かれ負け」5-7

 

そして、地元に戻ると…。

 

モリフ、大炎上!!

 

クレームの嵐

 

・「適当な野球やってんじゃねえぞ」

・頼んでもいない寿司が届く

・「なんでバントしないんだ」

 

特に多かったのが、「なぜバントをしなかったのか」と言うクレームで。

 

それでも、これらの思いを胸に、翌年も甲子園進出を決めます!!

 

2回目 96年夏 東筑(福岡)

 

県大会ではほとんどしなかったバントを…。

 

甲子園で使わなければまた前回のようにクレームが来るという思いから多用。

 

しかし練習していないので ことごとく失敗。

 

この敗戦、名付けて

 

「炎上トラウマ負け」0-2

 

3回目 01年夏 近江(滋賀)

 

相手校のビデオを入手するも…。

 

入手したことに満足。

 

そのビデオを、

 

「深夜の通販を見る程度のテンションで流し見」じゅうぶんこれで勝てるな、と思った、とのことでした。

 

しかしそんな甘いものではなく、今回も敗退。

 

この敗戦は名付けて

 

「ビデオお取り寄せ満足負け」1-4

 

4回目 03年春 横浜(神奈川)

 

雪で練習できないので、親の遺産で沖縄キャンプへと向かうも…。

 

そこに対戦相手・横浜高校の偵察部隊が出現。

 

それを見つけたサワダさんは…。

 

偵察部隊を追い返すどころか…。

 

コーヒーと椅子でもてなしたとのこと(^_^;)

 

ちなみに横浜高校の偵察部隊、サワダ監督に「どうですか(うちのチームは)?」と聞かれた際に、

 

「たいしたことないな」

 

と答えていたとのこと。

 

完全に、ナメられてますやん(^_^;)

 

結局、完敗。この敗戦は名付けて

 

「手の内見せすぎ負け」0-10

 

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5回目 03年夏 福井商(福井)

 

9回の時点で6-6の同点。

 

9回裏モリフの攻撃、ノーアウト1塁。

 

連敗記録を止める絶好のチャンス!!

 

運命の二択・バントで送るか、ヒッティングか。

 

サワダさんはヒッティングを選んだ!!

 

そして…。

 

普通にアウト!!

 

延長10回で2点を取られ…。

 

「二択を間違え、ベタな采配ミス負け」6-8

 

6回目 明徳義塾(高知)

 

今回はサワダさん、自ら相手の高校の偵察へと赴きました!!

 

サワダさん:丸裸にしてやろうと、変装して行きました。

 

若林:ほう!!

 

サワダさん:そしたらバッティング練習やってました。もう…。ポンポコ、ポンポコ、場外場外(ホームラン)で…。信じられないバッティングでした。

 

若林:ああ…。

 

サワダさん:高校野球では完成されてるな、と思ってしまって…。

 

自信を喪失したサワダさんの空気が、選手たちにも伝わってしまったのか…。

 

「偵察行ってションボリ負け」2-15

 

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7回目 08年夏 駒大岩見沢(北北海道) 

 

当時42歳のサワダさん、この試合を最後に引退を決意。

 

体調の問題と、監督業を優先して来た教師生活、今後は学校の仕事をやりたい、と言う気持ちが合わさり、引退を決めたようです。

 

最後は勝ちたい!!

 

1年間、これまで以上に必死に練習をし、

 

ビデオもいろんな角度から見て研究も重ね…。

 

モリフは3人の投手を繰り出すも…。

 

3-8で敗北。

 

弘中アナ:今回のこの試合は、緊張でガチガチだったわけでもなく、采配ミスをしたわけでもないんです。「実力を出し尽くして負けてしまった」

 

若林:この負け方は、監督、清々しいもんですか逆に?

 

サワダさん:自分の力を知ったと言うか…。指導者としての力不足を感じた試合だったので。残念ながら…。私の力はこれまでだな、と思いましたね。

 

「実力を出し尽くして負け」3-8

 

サワダさん引退後…。

 

95年に甲子園初出場時のキャッチャー・関口が新監督に就任。

 

そして…。

 

2013年、モリフ念願の甲子園初勝利!!

 

弘中アナ:監督の関口さんは試合後、サワダさんにこうおっしゃいました。

 

これまでの負けの経験があったから、それを対策し成長できました。その基礎はサワダ先生が作ってきたもの。

 

この初勝利はサワダ先生のおかげです。

 

ありがとうございます。

 

サワダさん、終始、緊張されているせいか表情も硬く。

 

にもかかわらず時々、場を凍らせるようなギャグをはさまれ(^_^;)

 

真面目で、実直なお人柄がにじみ出ていました。

 

今では、モリフの教頭先生でいらっしゃる、とのことでした。

 

この経験を本にまとめられたのが、この本。

 

 

甲子園の負け方、教えます。

甲子園の負け方、教えます。

 

 

ぜひ一度、読んでみたいと思います!!